🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十四

六十四、

かなり活動家としても有力な若き土佐脱藩者の中でも中岡が“ここ”を実質担当する。長州側の窓口としての顔となったのは前稿に臭わせた様な理由か。まあおさらいで、聞多の過重労働、桂の躍進、中岡の信用等で上手く嵌った、と。そしてもう一点おさらいで、この時期の近藤の変、自死による欠員、と。この近藤の欠が、薩摩ー長州の密貿易の商売的ニュアンスから変貌したのではないか?というのは、近藤存命で密貿易が継続していたならば、と仮定せば何となく伝わるか?と。恐らくは現代におけるここまでの活劇調の物語としては伝わってはいない。“熱さ”よりクールなビジネス色の“記述事項”としてしか伝わっていないだろう。

時代を超えて伝わるには、“熱”、人の心を熱くする“熱”が必要なのだ

中岡が立ち、いや立てられ、この件にその“熱”が、冷たいビジネス・武器の密輸という死の商売に“義”の炎が当てられ加熱した、か?

大体、この純粋尊王攘夷思想活動家の中岡にこの入り組んだ“ビジネス”が務まるのだろうか?

これは桂の“賭け”だっただろうな…
よっぽど“男”として見込んだのだろうな…

他方、あまり聞多のバイオグラフィーは押さえていないが、功山寺ー第二次長州征討と多忙を極めている。体が一つでは足りないぐらい働いている。蛇足で、ちょっと目を離すと兄貴の高杉・兄弟分の俊輔がイギリスに遊びに(バックれ?)行こうとするから目を離せなかったろうし。薩摩との貿易の件は、聞多の性格から絶対自分が関知していたかっただろう。アガリがデカいから。ただ藩の窮状からさすがの“カネの聞多”も個人のアガリを考慮する隙間がなかったのだろう。

長州側に中岡が立ち
薩摩側は?
我らが“坂本龍馬”か?

読者をがっかりさせてしまうか?この点は微妙である、と推測する。まあ資料上、中岡及び関係者との裏交渉は重ねていた様だが…注意喚起として、この男は“ホラ吹き”で有名であった。そして、これは証言でもある様に男としての傾向が高杉と似ていた。まあ、坂本の方が高杉より年上だが。

何が言いたいかと言えば、この密貿易に本当に誠心誠意関心を持って働いたかどうか、甚だ怪しいのである。彼、坂本の関心を動かす、と言えば…

船であろう?
船は船でも蒸気船

“ありゃあ?こりゃ饅頭屋から預かった船じゃけんど、あし、こん船、動かせるじゃないがか”

操練所で培った航海術
習った事が活かせる

これは人間にとって最も嬉しい機会ではなかろうか?

それ以前(ごく短い操練所閉鎖〜薩摩保護下期)の間でも、船に携わる機会はあったにはあったろう。ただ一隻、責任職となる、それは例えオフィシャルなものでなくとも、事実上役職的付与・上昇で普通の人なら嬉しいものだ。ただこの男は晋作と一緒で普通ではないので、責任職自体嫌だった可能性もある。しかし“我の為す事、我のみぞ知る”の彼氏なんだから、本心追求はここまで。

“薩摩の下に坂本君か…近藤君は実に惜しかったが。だがあのスケベな話の好きな坂本がいるのか。色々聞き易いな”

話し上手に聞き上手。桂の脳裏に奴の顔が過った。

✍フォローという支持、支援はとてもありがたい。更なる高みを目指して『レヴェイユ』をクリエイティブな文芸誌に育てて行きたい。🚬