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千部屋以上!チャウシェスクがブカレストに建てた巨大な宮殿

ほとんど知識のないまま勢いで訪れたルーマニアのブカレスト。いろいろ観光スポットを調べてみて絶対行きたいと思ったのがルーマニア議会などが入る巨大な議事堂宮殿。ギネス記録にも載っていてとにかくそのスケールが半端ではありません。

この議事堂宮殿ではツアーを行っているので行ってみることにしました。

巨大宮殿建設の背景

1977年の大地震で多くの人々が亡くなり、建物が崩壊したブカレストの町。地震後、当時のルーマニアの共産党のトップ、ニコラエ・チャウシェスクが北朝鮮を訪れた際に金日成に影響され、ブカレストの歴史あるUranus地区に政府機能が集まる建物の建設を計画をします。

その工事によって1980年にはブカレスト全体の5%にも及ぶエリアで建物の取り壊しが進められました。 それはイタリア・ベニスの町の大きさに匹敵するそう。それによって、無数の石畳の細い通りから成りボヘミアンな雰囲気の漂う歴史のある建物の数々が消え、合わせて20の教会、1万軒以上の家が取り壊され、5万7千家族が立ち退きの対象となったそうです。取り壊しの前の地域の写真が残っています。

今はその名残は全くありません。正面の公園なども含めるとその敷地は旧市街と比べかなりの大きさであることが分かります。

巨大宮殿建設の開始

任命当時わずか28歳だったAnca Petrescuを主任建築家とし、700名もの建築家が設計に携わったとされ、建設は1984年に始まりました。

建築家たちはチャウシェスク夫妻のために建物の模型を作ったといいます。市全体の模型を含めた千分の一の模型を中心に、チャウシェスク夫妻が理解できるように時には階段等、実物大の模型も作り、毎週夫妻は、建築家たちに細かい指示を出したそうです。それもそのはず、議事堂宮殿の一部はチャウシェスク夫妻家族の住居になる計画だったそう。

10万人以上の建設作業員が建設に従事。24時間を3つのシフトで一日2万人以上が建設に携わり、それに加え1984年から1990年にかけては1万2千人の兵士が建設に参加したそうです。その過酷な労働環境から建設中に3千人にも及ぶ作業員が亡くなったと推定されるそう。

建築資材は、アフリカの当時ザイール共和国の大統領からのギフトだったニコラエ・バルチェスク・ホールの扉を除いて、全て国産。 建設に当たって、なんと100万㎥の大理石、55万トンのセメント、70万トンの鉄鋼、 200万トンの砂, 1,000トンの玄武岩, 90万㎥の木材, 3,500トンのクリスタル、 20万㎥のガラス、 2,800個のシャンデリア、22万㎡のカーペット、 3,500㎡の皮革が使われたそうです。桁数が多すぎてどれくらいだか想像がつきません!

民主化革命後の議論

ベルリンの壁が崩壊し、1989年にルーマニアで民主革命が起こったときには建設は6割ほど進んでいたとのこと。 チャウシェスクの独裁政治のシンボルであるためこの議事堂宮殿の建設の取りやめが議論されましたが、取り壊しは建設続行よりも費用がかかるとのことで建設続行が決定します。1992年に工事は再開され、1996年についに完成に至りました。 

建物の用途について、世界一大きいショッピングセンターにする案や、世界一大きいカジノにする案が浮上し、アメリカ資本でドラキュラのテーマパークにする話まで挙がったそう。 結局、政府の機関が入るということで落ち着き、ルーマニア議会の両院が入ることが決まりました。

議事堂宮殿はこんなにスケールがすごい!

とにかくスケールの大きい議事堂宮殿。現在も多くの記録を保持しています。

  • 軍事施設以外で世界で一番大きい政府の建物

  • 世界で3番目に容量が大きい建物

  • 世界で不動産の価値が一番高い建物

  • 世界で重量が最大の建物(その重さで毎年6㎜づつ沈んでいるそう)

建物は、長さ270m、幅240m、高さ84mで、総面積は73,615 ㎡。地上12階、地下8階建てで、地下には20キロに及ぶトンネルと核シェルターがあるそう。地下トンネルはイギリスのTop Gearというテレビ番組に登場し、フェラーリを走らせています。

 宮殿の部屋数は1,000を超え、440部屋のオフィス、30以上のホール、4つのレストラン、3つの図書館、2つの地下駐車場、一つの大きいコンサートホール、一つの未完成のプールがあり、南東欧協力イニシアティヴという国際機関のオフィス、現代アート美術館を含めた3つの美術館・博物館も入っていますが、全体の70%が全く使用されていないとのこと!維持費も莫大で、暖房費と照明などの電気代は年間米ドルにして6百万ドルを超えるそうです。

議事堂宮殿のツアーに参加!

そんなスケールの大きい議事堂宮殿。電話で事前予約をしていざツアーへ!

余裕を持ってかなり早めに出発したつもりでしたが、議事堂宮殿はとにかく大きすぎて距離感が掴めず、すぐ目の前に建物があるのにツアー入り口にたどり着くまで永遠とかかりました。

入り口はこの右側

やっと入り口を見つけ、受付に向かいます。

名前を告げ、支払いをしたらツアーの開始までロビーで待つと、英語のツアーガイドがやってきました。セキュリティチェックとパスポートチェックをしていよいよツアーの開始です。

豪華シャンデリアの数々

まずは階段を上がって600人ほどを収容するホールへ。電球を変えるのに4人の人手が必要だそうです。

シャンデリアはこの宮殿内で最大規模。ヨーロッパで2番目に大きいシャンデリアだとか。

廊下にもシャンデリアがズラリ。

立派な木製のドア。

これだけの規模なので中庭もあります。

世界一長いカーテンのある正面玄関

正面玄関は現在でもフェアや展示、カンファレンスなどのイベントの際に使われるそう。

玄関ホールのシャンデリアは小ぶりながら装飾が見事。

ホールの左右にはそれぞれ白い大理石の階段があります。

完全に左右対称で豪華。

全く同じ左右対称の階段が二つ作られたのは、チャウシェスク夫妻がゲストを迎える際に、まるで映画のようにニコラエ・チャウシェスク本人は一つの階段から、婦人はもう一つの階段から同時に降り、中央で落ち合うことを想定していたため。下を見ることなしに自然に降りられるよう段の高さも通常より低めに設定しているそう。 前述の実物大の模型の一つはこの階段だったそうで、実際に模型で本人たちが歩いて降りてみていろいろ指示をしたのでしょうか。

この階段の途中には大きな窓があり、そこに重そうなカーテンがかかっています。政府の建物としては最長のカーテンだそうで、重さは片方だけで 250 kgもあるそうです。

ピンクの間、ニコラエ・バルチェスク・ホール

現在はルーマニア議会の公の会議で使用されていホール。フレンチスタイルの装飾が施され、落ち着いたピンクで色が統一されています。

ピンクが選ばれたのは、中立性を保つためどの政党もピンクを使っていなかったからだとか。

拍手が響き渡るケ・イオネスク・ホール

次に訪れたケ・イオネスク・ホールは窓などがなく自然光の入らないホール。その代わりシャンデリアやその他のライトがふんだんにあります。

窓がない理由は音響を良くするため。 囁いてもエコーしてしまうほどで、何でもチャウシェスクがゲストをここで迎え演説をする時に拍手がより大きく聞こえるように設計されているそう。

天井には金箔ふんだんに使用されています。シャンデリアも豪華。

そして、先程の巨大カーテンのある階段の一つを上がっていきます。

天井のスカイライトが素晴らしいです。

巨大カーペットが敷かれるユニオン・ホール

この宮殿内で一番大きい部屋がこのユニオン・ホールで面積は2,200㎡。この部屋の左右の壁には、チャウシェスクの巨大な肖像画とそれを映し出す鏡が架けられるはずだったそう。

壁のライトまでミニサイズのシャンデリア!

注目すべきはカーペット。面積は1,100㎡ で、3トンの重量だそう。 

柄が色々組み合わされています。外から運んでくるのには大きすぎるため、このホール内で織られたそう!

バルコニーからの眺めが素晴らしいアレクサンドル・ヨアン・クザ・ホール

ツアーの最後に訪れたのはアレクサンドル・ヨアン・クザ・ホール。天井が高く丸い窓が特徴的です。

建物内で一番天井が高い部屋だそう。

この部屋からはバルコニーにアクセスできます。

まっすぐに伸びる大通りは真ん中に噴水が並んでおり、この宮殿のために整備されたことが分かります。

このバルコニーから演説を行った唯一の人物が、なんとマイケル・ジャクソン。1992年に群衆の前で「ハロー、ブカレスト!」と言うべきところを「ハロー、ブダペスト!」と言ったことで知られているそう。

その他にもいくつか部屋を訪れました。どの部屋もシャンデリアがあり立派です。

このツアーでカバーしたのは建物全体のわずか5%ほど。それでも、とにかくそのスケールの大きさと豪華な装飾やシャンデリアにびっくり!

見学した部分は豪華絢爛でしたが、使われていない部分がどうなっているのか気になります。また、住居として住む前に裁判にかけられ処刑されてしまったチャウシェスク夫妻。一体どんなラグジュアリーな住居になるはずだったのでしょうか?

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