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カフカを読んで絶望を甘くする

(はじめに)

キミは心を病んだ。今、とても広い暗黒の空間に居て、出口が無いことに困ってる。

だからキミはフランツ・カフカを読む。

だってあの人が言っていた。「死ぬまでにカフカの作品を読むべきだ」ってね。
そしてキミは、そこそこ大きい本屋さんに行き、カフカの作品を探す。「審判」「城」「変身」「カフカ短編集」etc...。

カフカの衝撃

ボクが初めてカフカの作品を読んだのは、高校1年生の時だった。現代文の教科書に載っていた「掟の門」だ。
読書をあまりしなかったボクにとって、現代文の教科書は数少ない〈質の高い読書体験〉だった。暇に感じていた現代文の授業中は決まってパラパラと教科書をめくり、〈読書〉をしていた。選りすぐりの短編集だと思えば、現代文の教科書は1冊の本である。それに幅広いジャンルが収められているから、文学の広さを感じることができる。高校を卒業してからも、未だに現代文の教科書だけは捨てられない。それだけ良質な本だと思っている。
そんな感じで、現代文の授業中に「掟の門」に出会った。
そしてボクはその作品に強く惹かれた。

掟の門

「掟の門」は、カフカ短編集に載っているが、別の人の訳である「道理の前で」として、青空文庫にある。

ボクにとって、この作品の持つ魅力は例えようもないものであった。明らかにネガティブな雰囲気は、ボクの思考にとってもお似合いだった。それに、抽象的なストーリーは、それをボクの世界に落とし込めようという挑戦がしたくなるにふさわしく思えた。そしてそれは、何より文学の楽しみをしっかり掴んだ経験だった。でも、ボクはその程度の体験で満足してしまい、本の虫にはなることはなかった。本より楽しみを覚えるものに、当時は夢中だったのだろう。

それからのボクの生活はあまり良いものでは無くなった。家族や学校、自己嫌悪のストレスに耐えられず、様々な精神症状に悩み、そして苦しむようになった。

(次に)

キミは絶望を経験している。何が自分自身を苦しめているのか、キミはもう分からなくなっている。カフカを読んだかい?1度は読むべきだよ。
カフカはキミを教えてくれる。

絶望を経験して

自分語りを要約すると、ボクの高校時代は「絶望」そのものであった。詳しいことは黙ることにする。

一旦の絶望期を過ぎたボクは、またカフカの作品を手にする。
急に読書欲が高まった時に「変身」を読んだのだ。
ある日を境に精神症状が現れ、苦しんだボクは、「変身」のストーリーが歪んだ鏡のように思えた。そして、少しばかりの幸福を感じた。主人公のグレーゴルの苦しみに共鳴し、仲間意識が産まれたのだろう。

「変身」では、〈人間〉と〈虫〉の境界線は上手いことぼかされているから、リアルに落とし込んで読むのは簡単だった。ボクは、〈普通の人間〉と〈精神疾患持ちの人間〉に置き換えて読んでいた。あまりにも劣等を感じすぎであり、ネガティブな見方である。しかし、その読書体験はボクを幸せで軽く包んでくれた。苦しい時だったから、味方を強く求めていたのだろう。

カフカを読むことは、絶望を甘くすることだ。

カフカの作品には間違いなく絶望が混ざっている。しかもその絶望は、時間や空間の違いを無視して、ボクらに作用することができるのだ。
ボクらの心に寄り添って、絶望を何か違ったものに変換してくれる。それがカフカの力であると思う。

それから、カフカの他作品を読むようになった。それだけでなく、そこそこ読書をするようになった。ボクの読書の扉をこじ開けたのは間違いなくカフカであった。

ボクは何度でもカフカに戻ってくる。そしてその度に、カフカを通して自分を見つける。

(最後に)

カフカを読んだかい?
どうやら、キミはカフカの世界観に大変影響を受けたみたいだね。今のキミの解釈を大事にするんだよ。
でも、カフカの味も色もいつか変わる。その変化を忘れずに。変化することは美しいことだよ。

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