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建築とは暮らしである。

暮らしとは自然の恩恵を感じ、地面に接地した空間から生み出されてきた。暮らしとは必要十分な自然が織り成した体系であり、機能を超越した拡張的な存在なのだ。
わかりやすく言えば住吉の長屋は作った現代の建築体系もすごいが、当然あの環境に適応・凌駕し、愛した暮らし手が素晴らしいのだ。また歴史的に過去を遡れば、竪穴式の住居を確立した時代から、一定の寒さに抵抗する自然由来の工法と明瞭強固な構造が存在し、暮らし手の知恵が絞られてきた。その自然と共存するための知恵こそが暮らしの起源、すなわち建築の起源である。

現代人であれば建築的な建造物を想像すると大きな建物、つまりは政治的な象徴物や経済発展の象徴物が出現するであろう。その大きさたるや圧巻であるが、過去を覗けば当初は日本であれば日柱。エジプトなら日時計【オベリスク=四角錐(ピラミディオン)】である。これはお天道様が顔を出している時に活動する概念(太陽信仰)の象徴であり、自然発生な知恵の創造物である。日本であれば、男性は陽が出るうちに草や植物を切り、暮らしの材料とした。または石を加工し石碑やピラミッドを建てたり、狩猟に必要な石器をこしらえた。そして狩猟採取したものを土から産み出した土器で保存・調理など火の力を利用し、ご先祖様たちは進化発展してきたのだ。
人が支配的な思想を起こすこととなった発端は、大陸からの農耕伝来によるものかもしれない説が有力である。今までは暮らしの範囲で食料をある程度の細かい頻度で調達してきた。がしかし、保存の効く農耕作物が生まれると蓄えることが可能となり様々な権威に作物が集まるようになる。当初は自然に崇拝していた信仰対象に、お供物として献上している程度であった。しかし、宗教的な心理情報操作の流れが強まると、大衆から搾り取るように作物を奪った。奪いが起これば、怒りから攻めが生まれる。また蓄えることを覚えた人間は奪われることを恐れ、奪われる前に侵略しようなどと、”不安神経症的な症状”を示す。これが農耕と支配欲から生まれた戦争である。
その時代に絞りっとた作物や労働者により作られたのが、巨大な建物である。このやや半熟的な経済(西洋および大陸的)機構は巨大な建物に携わる人々に仕事を与え、技術を向上させ、貧富の格差層を新たに生み出していくこととなる。序盤では食べ物を蓄えるものから奪うという二層構造であったが、技術あるものやないもの、その技術あるものに仕うもの遣われるものなど複数の層に増えた。そこで上位層が作らせたものこそ規模の大きな建物である。作物から相似的に派生した人間の虚栄心を映し出したのである。
現代人の言語や感覚で見れば、奴隷と特権階級の関係性なのではと揶揄するかもしれない。だが昔は仕事を与えてくれ、飯が食える、徐々に腕を上げれば生活が豊かになっていく等と、有難い存在だと彼らは思っていたかもしれない。またもしかしたら先人たちの認識の引き出しには、平等の概念はなかったかもしれない。
時と共に価値観が変わる。疑うことや現状を変える思想が弱まる時期が来る。その後に不満が爆発することは過去の繰り返しを見れば言うまでもないが。
話はややそれたが、結局は農耕と支配的思想が産み出した建物は職人の技術の向上に寄与した。その反面、農耕の伝来によって生み出された支配的な思想と表裏一体である皮肉を纏う存在なのである。これは過去であるからしてどう論じても変わらない事実である。当然過去が故、私の切り取り方が真実か否かは不明である。どちらにしても、そのような時代の偶然産物的な建物達は少々愛がない。過去を想う現代人に愛されてはいるが、中に人が絶えず存在し愛してきた訳ではない。
日本各地には千年屋と称される建築物・民家がある。約1000年前に建築された数百年に渡り住み手に愛された建築物が存在する。当初は村の仲間達とともに共同で建築した。屋根は合掌するような木組の差叉(さす)構造である。階層構造の関係でない仲間同士で建築されたそれへの愛は支配産物的なそれとは一線を画す。
家と暮らし。これこそが建築である。そう私は想い暮らしていきたい。
建築は暮らしだ。これは翻訳し理解することのできない概念であると想像できる。もし侵略的思想の人種の人々が真意を伺いたければ日本の歴史を学ぶことで多少垣間見えると想う。もし仮に別のアプローチを西洋的にするのであれば、先住民の暮らしのある歴史の残る地域から読み取るのも良い。日本以上に起源的暮らし・文化が保存伝承される地域があるのであれば。
いかに日本に生まれたこと自体が幸福であるか深く感じた。

暮らしの拡張性とは地続きで外部と繋がることである。豊かな大地へ同一平面的に接する。地続きで外部を眺めるのが贅沢であり日本的な暮らしである。当然庭や周囲の自然環境は二階層以上から眺めるより、庭や周囲を地上階で見るというのが心を安める。日本の庭園や美術作品は鑑賞視点から平面的に複数画層で前後関係感じる構成になっていることから考えても当然である。だから二階層以上は箱としての機能しかない。合掌作りの家屋には屋根裏部屋があるがそこは養蚕としての空間。または敵から襲われた際に逃げる場所である。(登った際に架けた梯子は二階へ上がり切った後、引き上げる)また2階層以上は工夫しても精々balconyが作れる程度である。二階層以上には地続きの暮らしはない。隠れることや、閉じこもることそんな機能である。
地上階でなければ、下駄や草履をおもむろ身につけ、外部へ出かけることはできないのである。つまり平屋が至高の構造なのだ。


やはり住宅以外の建築は機能であり、権威や商業における親和性が高い存在である。これが凝美自英の概念である。ピロティーなどを見ればわかるが、家屋にピンヒールを履かせた構造。非常に脆い。外部への拡張性の無さが顕著である。現在の西洋文化=経済的な文化に染められた東京を見れば一目瞭然。経済的に苦しめられた暮らし手は、まず2階建以上で作り、上へ上へ空間を広げざるを得ない。東京では一部の既得権益や昔から土地を大切にしてきた地主(大体は農民)でない限りは、庭なしで隣家とほぼ距離なく、せっかくの地上階を車両一台に費やし、小さな採光と小さな開口部から人工的な素材を多少覗ける程度だ。もしくは家賃が十数萬円以上の高級高層団地に住むしかない。少し大きめの窓があり、自由に外部へアクセスできるが構造自体は牢屋とほぼ一緒である。庭もなく瞬時に大地に飛び出すことのできぬ、多くの人と同じ間取りで、ほぼ同じ角度から外部を覗く。その風景が心癒すものであれば良いのだが、広がるのは人工的な色と形状が広がる。大気は汚染され、星もみ見えづらい。見えづらいだけならいいが科学物質との共存が強いられ、喫煙以上に健康への悪影響が凄まじいことが明らかになっている。田舎の刑務所の方がよっぽど空気は良い。それまでしても東京に固執するのは、人への愛であるから経済とは質(タチ)が悪い。人々の愛に漬け込んでいるのだから。
人の交流の媒介となる東の都からの恩恵は凄まじい。私も恩恵を受けたその一人だ。様々な視点から見ても転換期となった西暦2024年以降は、首都直下地震と南海トラフの影響も高まったことで、住処について現代人は感度を高めた方が良いと感じる。

建築の話に戻ろう。
『建築の最小単位は寝室であるからして、敢えて屋内で暮すことが絶対必要条件ではない。暖さえ取れれば、可能な限り屋外で暮らすことが私の至高である。これを実現する地は東京ではないことは当た坊だ。最終的に私の安庵地はどこであるのか。ワクワクして止まない。
自然に囲まれた地で日が暮れるのを感じ、眠りに就く。起きた時に己の身体だと認識する。まさに藤森照信先生の仰った【記憶の器】。
太陽と共に眠り目覚める。"暮らす行為"こそ、建築の根源なのである。やはり建築とは暮らしなのである。そして少し時間はかかったが【記憶の器】への私なりの解が出た。
建築(暮らし)とは【時間への崇め】だ。 建築の主語者は、常に人間なのだ。 そしてそこには必ず動きが伴う。 さらに人間概念で言えば時間と切り離すことは出来ない。過去を思い感ずる記憶の器、今を生きる暮らしの器、過去と今を紡いで生まれる未来。未来を生きるには飯を食い、さまざまに備えて、美しく自然に日暮れを過ごす。それを繰り返すしかない。
なんせ太陽はかならず一定周期で見えなくなるのだから。そんな抗うことのできない概念に逆らわず、自然に感謝し暮らす。

建築とは時間への崇めの場であり、その対象なのだ。

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