安庵地【Unanti】

【安庵地】暮思家・建築家 【起 源】日本国>近江源氏 【 師 】藤森照信氏、養老…

安庵地【Unanti】

【安庵地】暮思家・建築家 【起 源】日本国>近江源氏 【 師 】藤森照信氏、養老孟司 時間への崇めとしてここに思想記す。

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安庵地=Unanti=無抵抗=自然

いよいよ長野への出発が残すところ一日となった。 節目として反芻し終えたものを記録するとしよう。 結論、こじつけでもある。しかしこれが今の私の正義である。(※無論、私の偏った正義は誰に影響を与える意図でも強要するものでもない。正義とは各々である。) ある程度の方向性を持って、人は進まざるを得ないため致し方ないだ。 建築は過去より、人間が自然と対峙し共存するためにあった。竪穴式住居から始まり、現在の工業化家屋に至る。 二十一世紀の東京は、洋的都市化=不自然=経済・工業的束縛空間

    • 建築とは暮らしである。

      暮らしとは自然の恩恵を感じ、地面に接地した空間から生み出されてきた。暮らしとは必要十分な自然が織り成した体系であり、機能を超越した拡張的な存在なのだ。 わかりやすく言えば住吉の長屋は作った現代の建築体系もすごいが、当然あの環境に適応・凌駕し、愛した暮らし手が素晴らしいのだ。また歴史的に過去を遡れば、竪穴式の住居を確立した時代から、一定の寒さに抵抗する自然由来の工法と明瞭強固な構造が存在し、暮らし手の知恵が絞られてきた。その自然と共存するための知恵こそが暮らしの起源、すなわち建

      • 素和素和

        朝起きると、そわそわすることが多い。 これは一般的な言語で示せば"不安"である。 言語とは人の感覚を一般化するものであるため、私の感覚が10割正確に表現されているわけではない。そもそも感情を言語で認識するためには、10割正確ということは基本的にない。どこか感覚と言語の間に遊びや解離がある。 師である養老孟司先生が仰っていた。 『人間は不安があることが正常であり、 不安がなくなれば恐怖に変わる。』 先生の理論で考えると、私がそわそわする状態は恐怖とは一線引かれた場所におる

      安庵地=Unanti=無抵抗=自然