2020年を振り返って

2019年、僕は毎月いろんな地域を訪れながら、様々な人と交流してきた。うなぎの寝床を2012年にはじめてから、ずっとそのような生活を送っていた。そして2020年も、そうやって過ごすであろうと思っていたが、全然違う年になった。少し振り返ってみようかなと思う。

3月
3月、新型コロナウイルス の情報が流れ始め、少しずつ出張などもどうしようか?という空気が流れはじめた。うなぎの寝床の社内でも、九州まで広がって来たら、少しずつ対策をしなければならないねと、もう少しゆっくりと、広がって来るとおもっていたが、3月後半から、一気に情報の広がりをみせ、4月からの緊急事態宣言、お店の客足はもちろんなくなり、うちも休業を決める。

4月-6月
ここでも、社内でかなり議論をして、これを気に、web、そして今から来る時代に合わせてシフトさせないと死ぬだろうという結論にいたり、緊急事態宣言が6月であけるであろうことがわかってはいたが、4月-6月末までの全てを、休業にあて、一緒に働いている方々は、時短・もしくは休業をすることに決定した。まだこのときは、様々な情報が出始めて、緊急事態宣言が長引くのか、どうなっていくのか?も不明瞭な点が多かった。ゴールデンウイーク明けにもう一度判断するということもできたが、ここは思い切って6月末までの2ヶ月半を店舗業務は全て休むことにした。これは、わりと大きな決断だったかもしれない。そして、うちは休業時も給与金額は100%保証した。このときに、労務士さんも、雇用調整助成金の手続きなどを手伝ってもらい、かなりいろんな人に助けられた。国の雇用助成のあり方にもとても助けられた。この側面においては。全ての対策がうまくいっているわけではないと思うが。

その2ヶ月半の中でやったのは、webのリニューアルと、店舗リニューアル。webは2012年の創業時になんとなく、僕が作って、トップページだけをカスタマイズしてもらったもので、スマホ対応もできておらず、よくこのwebでやってきたなというくらいのもので8年間運用してきた。リアルをまず整えるためにweb専属の人員もつけておらず、本当によくこのページと仕組みでやってきたなという感じだ。

実は2年前くらいから福岡のwebデザイン事務所y2さん相談しながら、webのリニューアルを計画して進めていた。ただ、あーでもないこうでもないといいながら、2年という歳月がたっていた。2020年の末くらいにリニューアルできればいいねと話していた内容を、この休業期間の2ヶ月半で一気につめて、お互い作業をし、無事リニューアルすることができた。

コンセプトも一度見直し、九州ちくごのアンテナショップ、日本のものづくりのリファレンスという二つの店を運営していたが、整理しなおし、うなぎの寝床が解釈したものは「UNA PRODUCTS」、つくりてが生み出した地域に根ざしたプロダクトを「NATIVESCAPE PRODUCTS」と位置付けをして、二つの店舗に配置をした。2012年に旧丸林本家、2018年に旧寺崎邸をオープンし、いきあたりばったりでやってたところもあるので、よい整理になったと自分では思っている。

3月の末から4月の中盤までは、正直会社が潰れると思っていた。毎朝起きしなに「潰れるかも、でも、その前に打てる手は打とう。」という気持ちで目覚め、1日を過ごしていた。1日、1時間単位で、議論を繰り返し、自分たちの活動意義と、今後やるべきことと、実行について話して、行動して、話して、行動してを繰り返していた。

今もその延長線上にあって、いつ情勢が傾くか、国の方針が変わるかはわからない。基本的には、わりと緊張感を持って過ごしている。

「潰れる・倒産する」ということを考えることは「生き残る・引き継ぐ」ということを考えることと同義であるというのも、この時期に考えた学びかもしれない。資本のことや、引き継ぎをどうしていくのか、自分たちが持ってるノウハウや権限をどう、みんなに分散していき譲渡していくのか?みたいなことも議論がはじまって、僕はこのコロナというのは、大変な側面も多いが、人間が変わるために必要な気づきを与えてくれているんじゃないか?とさえも感じる。

7月-
リニューアルしたお店と、webを一気にオープンする。今まで毎月企画展をやったりしていたが、それはリニューアル以降やらない方針に決め、なるべく密をつくらず、でも、ちゃんと情報は届ける仕組みをつくるということに対して注力をしてきたように思う。実は、うなぎの寝床のwebには商品の半分もアップされていなくて、リアルを重んじて来たといっていいだろう。これを期に、地域のカメラマンの方とも連帯し、入荷した商品の撮影をし、webにアップしていくという仕組みにも着手しはじめた。

2021年に入ってから、どんどん新しい商品が追加されていくだろうと思う。お楽しみに。

7月-12月で、九州外に出張したのは2回だけ。どうしても面と向かって話したい内容のみに絞った。基本的には福岡周辺をうろうろし、会議はリモートが多くなった。セミナーなどもwebになって、慣れないところもあったが、徐々に慣れて来た。

あまり表には情報は出せていないが、UNAラボラトリーズ の活動も進んでおり、九州のツーリズムを醸成中である。基本的にはインバウンド、海外の方々向けにツーリズムをつくっていく予定だったので、思わぬ誤算ではあるが、地域の行政の仕事なども受けながら、このコロナ禍の空いた時間をうまくつかいながら、九州での文化ツーリズムを15個ほど醸成している。これも2021年4月以降にどんどんリリースされていくと思うのでお楽しみに。また、トラベルマガジン「TRAVEL UNA」も2号目の米号が発刊された。来年は4月以降に、この九州で15個醸成しているツーリズムと合わせた特別編集号をリリース予定なので、こちらもお楽しみに。

総括
結果的に言うと、いろいろ大変な年でもあったけれど、うちは旅費交通費や交際費などの経費がうんと減り、なおかつ有効なwebリニューアル、店舗リニューアルはでき、2012年からはじめた事業の整理をしてデフラグのようなことをできた上に、非常に非常にありがたいことに、7月以降に売上は戻り、前年比を少し超えるくらいの売上に落ち着いた。3ヶ月休んだにも関わらずのこの結果は、悪くないのではないかなと考えている。

しかし、久留米絣産地、そして、伝統工芸などの地域産業、地域産地は、やられているところも多い。僕らはなんのために事業を行なっているのか?地域文化商社という業態であり、地域文化とどう関わりながら、継続していったり収束していくことを、一緒に判断しいき、行動していきたい。

まだまだ、足りてない部分、やれてない部分、考えれていない意識、行動できていない領域は多い。自分たちの状況も見極めながらではあるが、精一杯やれることはやってみようと思っている。健康には気をつけながら。一緒に働いてくれている方々も、とてもがんばってくれた。でも、まだまだ、それぞれのポテンシャルは行かせるはずだとは思ってる。それぞれ、そしてともにがんばりましょう。

2021年からのこと
2021年の夏には、宿をオープンする予定だ。その準備はコツコツと行なっている。そして、この8年間わたしたちが蓄えてきた行動の蓄積と、ノウハウを、少しずつ他の地域でも応用したりできないか?という思考とやりとりもはじまっている。ただ、うなぎの寝床はあくまでも主体的ではなく、気合いはいれて自分ごととして頑張りはするが、主体は地域文化、そこにあるネイティブな風景を担う人たち、土地がメインであることを忘れてはならない。

僕らが、勝手に面白そうと思って荒らしていくのは間違いであり、そこに住む方々と会話をしながら、うなぎの寝床にやれることがあったらやる。地域の方々がやれなさそうなことで、僕らにやれそうなことがあればやる。くらいのスタンスで、でもやるときは本気でやりたい。このバランスを忘れたら終わりだなと思っている。

商社の定義というのは、とても面白くてAとBの価値・意識ギャップを埋めて、そこに対して出たお金(交換価値)を得ていくという役割である。そういう意味では、地域文化が世間から価値が低く見積もられていたら、それ相応の価値を見出しながら、そのギャップを埋め事業にして仕事をつくっていく。それが役割。そこには視点は存在するが、自分たちが主体になるというのはありえない。

僕らはある意味透明であり、仲介者でしかないし、僕らが地域文化にはなりえず、あくまでもその仲介に立つもの。それ以上でも以下でもない仕事のバランスが結構むずかしくなっていくのだろうな。と予想はしている。

寄りかからず、寄りかかられず、でも本気でやる。つっこんでやる。矛盾したようなことを言っているが、それぞれが主体性を持って、自尊心を持って取り組みたい。今年もおつかれさまでした。では、また。たまに文章書こうかなとは思います。


本質的な地域文化の継承を。