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教員さえウチの子は私立行かせるという公教育の現実

インクルーシブ教育の現実

新学期が始まってひと月が過ぎた。生徒名簿もでき、保護者含む生育環境のリストなどもでき、それに応対する先生方の声も聞こえてくる。だいたい見えてきたところでまた思ったのは、「また少し多くなっている……」ということだ。
生徒の数ではない。自治体によるかもしれないが、私の教えている中学校では、3学年で300人強というところで、まあ、平均的な数だ。多くなっているのは、「配慮しなければならない生徒の数」である。

ひとクラスに1割以上

ほんの5,6年前までは、「配慮しなければならない」生徒とは、卵が食べられないとか、エピペン持参とか、持病を持っていて定期的に頓服が必要とか、だいたいアレルギーおよび疾病対応だったように思う。
それが、今はアレルギー対応の必要な子より、メンタル系、学習の遅れ関連の「配慮」が圧倒的に多くなっているのだ。たとえば、

① 読み書きが困難な書字障害があるので、教科書は持ってこない(持ってきても読めない)。それに対して、忘れ物リストにつけるなど、生徒を責めないこと。机の上に何も載っていなくても注意しないこと。
② 行動障害があり、数字は読めるが、「教科書38ページを開きましょう」といっても、教科書隅の「38」というノンブルに目がいき、そこへ指を持って行って、開くという行為ができない。できれば先生が机まで行って本を開いてあげること。
③小学校が学級崩壊していて、まったく基礎教育を受けていない。出席番号順に当てて答えさせるなどのときは、飛ばしてほしい。答えられないため、ショックで家で暴力をふるうので、「うちの子を当てないでください」という保護者リクエスト電話があった。従うこと。
④知能指数がいわゆるグレーゾーンで、小3くらいまでの内容しか理解できていない。そのような子のための特別支援級があるが、保護者が「どうしても行かせたくない」ということで、学校は無理強いできない。子供は、ほとんど何もわからなくて授業中ぼうっと座っている。私は、これは事実上教育虐待とかんがえる。しかし、「ケア学校に行かせてと保護者に言うと大変なことになる」。


「友達がたくさんできる」の幻想

上記を見ていて気付いた方もいると思うが、「配慮」が必要なのは半分以上が保護者案件である。子供が自分にふさわしい教育を受ける権利は憲法で保障されているのに、どうして、明らかに診断がでている境界知能の子を、タブレット授業など、さまざまな配慮ができる支援級で学ばせてあげないのだろう。ある保護者がいうには、「通常発達の子と仲良くなってほしい。将来助けてもらえる場合もあるだろうし」。本当だろうか? どうしてそんな「差別」をするのだろうか。
実際、文科省は、「共生社会の第一歩」として、義務教育でのインクルーシブをあげている。


だが、現場の対応を考えると、それはまったくの幻想である。なぜなら、出席番号順に当てていて、ひとり当てない子がいると、「どうしてあの子だけ?」と生徒はすぐ気づくからだ。低学年だと「えこひいき」と見る子もいる。
そこで、問題が起きないよう、だいたい「配慮が必要な子のリスト」ができると、通常発達の子たちを集めてそれを公開するようにした。
「○○さんは書字障害があり、読み書きができません。まわりは、いま教科書のここだよ、と教えてあげるなど、できるだけサポートしましょう」と一人ひとりについて教えている。子供は慣れたもので、うなづいている。完全に「あれは特別な子」とこの時点でインプットされてしまう。

進むアウトクルーシブ
それからはもう、その子が普通の遊び仲間に入れてもらえることはない。万一ケガさせた場合、対等ではないから、自分が加害者扱いになることがわかりきっているからだ。もちろん、定型発達の子は余裕があるので、優しくは接する。万一いじめたりしたら、相手が定型発達なら、まあ、対等のケンカだろうが、この場合はほぼ犯罪者になる。「特別な配慮」を受けて友達になってもらっている、これは「友達」だろうか。
彼らもいずれ、自分が先生や同級生に「特別な配慮」をしてもらっている
と気づく。その時誰よりも気づくのは、他でもない彼ら自身だ。

ITオンチも問題
他にも、知能には問題がなくとも、英語の歌なら歌うが日本語の歌は絶対歌わないなど、場面に応じてこだわりを見せる子もいる。別に帰国子女というわけではない。ひと昔前なら、まあ、気分だろとほおっておいたのが、これまた「うちの子に歌をうたわせないでください」といったリクエストをいただく場面が多いので、やはり「配慮が必要な子」リストに入ってしまう。
あまりに電話が多いので、ある自治体は、特別窓口をもうけ、担任が直接出ないようにした。保護者からのリクエスト電話にいちいち出ていたら、肝心の授業準備ができなくなってしまうからである。
学校にも問題はある。電話が相手の時間を奪うのはお互いわかりきっているからメールがいいのに、メールのやりとりを禁じている学校は多い。

家庭環境と貧困と

とはいえ、直接電話で話すことのメリットはある。話しているうち、生徒の家庭環境がわかってくるからだ。そして、不思議なほど、「配慮が必要な子」の保護者は、「配慮が必要な大人」であることが多い。上の番号と半分だけ照合させると、
① ご両親が失業中で生活保護を受けている。
② ネグレクトで児相から通学。
③ 離婚してシングルマザーが生育。食事はつくらず、家ではコンビニのスイーツが菓子パンを食べている。
④ 保護者が精神科に通院。掃除ほか家事がまったくできない(子供も机の中が整理できない。何がなんだかわからないため、全教科の教材を机の上にのせてぼうっとしている)
 こうした環境だからか障害を負ってしまったのか。因果関係はまだ研究中らしい。ただ100パーセントとはいえず、ネグレクトの家庭で育ったのに、通信簿がオール5という子はいた。

支援員の介入が必要では

この状況を打開するには、教員だけでは足りず、児童心理士や支援員など専門家の介入が必要だと思う。自治体により差があるのかもしれないが、私のいるところでは、そうしたサポーターは週2出勤、しかも教員免許がないため、「生徒に勉強を教えてはいけない」という決まりがあり、だいたいはただ見ているだけになっている。あまりにももったいない人と時間の使い方だと思う。
こうした状況を鑑みて、中学校勤務なのに、「うちの子は公立には行かせない。私立を受験させる」と断言する教員も少なくない。
ひと昔前まで、「荒れた中学校」といえば、生徒が煙草を吸うとか先生に敬語を使わないとか、それ程度。「程度」といってしまう。今の「公立中は荒れている」には、それ程度とは次元の超えた教育崩壊が潜んでいるのである。


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