見出し画像

晴海という名の女

同じクラスのヒロシくんから突然、電話がかかってきたのは、高三の夏休みだった。

その頃の私は、父にどれほど頼んでも大学進学を許可してもらえず、半ば投げやりになってアルバイトばかりしていた。
当時、女性の四年制大学進学率は10%くらいで、「女に学問は必要ない」という文言が、まだまだまかり通る時代と地域だった。

同じクラスでも、ヒロシくんとはそれまでほとんど話したことがなくて、私にとっては、かろうじて顔と名前が一致する程度。それなのに、電話の彼はやけに馴れ馴れしい。

「どこか遊びに行こうよ! 明日空いてる? 映画なんてどう?」
「……ごめん。私、ヒロシくんのこと、よく知らない」
「大丈夫、大丈夫。俺がちえさんのこと、知ってるから」
「いや、そういうことじゃなくて……」

ヒロシくんは、とても強引で、断っても、断っても、毎日のように電話がかかってきた。

夏休みが終わって新学期になると、教室で、グランドで、校門で、いつも私を待っていた。
最初はまったく興味がなかったくせに、そのうちに私も何となく意識しはじめて、しばらく現れないと気になったりする。


親友のリカコはずっと、
「……ねぇ、いい噂、聞かないよ。アレはやめたほうがいいって!」
と忠告してくれていたけれど、気付けばいつの間にか、私たちは公認のカップルみたいになっていた。

ヒロシくんは既に、推薦で進学先が決まっていて、卒業さえできればいい身分。中には、受験勉強に追われている男子もいたけれど、何とも長閑な田舎の高校だった。

誕生日が早かったヒロシくんは、夏休み中に運転免許を取得し、こっそりと校則違反の車通学をしていた。
夕暮れのドライブは、頬に当たる風がとても心地良くて、ハンドルを握るヒロシくんが、何だかやけに格好良く見える。ちょろい私は、あっという間に、この新しい恋に夢中になった。

ところがある日、いつものように助手席に座ると、うまく言えないけれど、どことなく違和感があった。
そうは言っても、家の車を勝手に使っているのだから、いろんな人が乗っていて当然だろう。そう考えた私は、深く詮索することもなくやり過ごした。

学校帰りのドライブ。
喫茶店のクリームソーダ。
映画館のポップコーン。
ディスコのチークタイムに抱き寄せられて、私はすっかり有頂天だった。

「女のくせに」「女だてらに」と言われ続けて、行きたかった大学も、学びたかった学問も、もう、どうでもいいような気がしてきた。
良い成績を修めるよりも、イケてる彼氏を連れてるほうが、ずっと羨ましがられ、注目されるのだ。


だけど、ヒロシくんは、やっぱり噂通りの、いい加減な男だった。

強引に押して、押して、振り向かせるまでが楽しいらしく、その後は途端に興味を失ってしまい、次へ、次へと目移りしてしまうのだ。
そういう訳で、秋が深まる頃にはもう、私への興味が薄れてしまったようだった。

文化祭が終わった後のある朝、同じクラスの女子が、一目見てメンズとわかるジャケットを羽織って登校してきた。
晴れた海と書いて、ハルミ。
美しい名前に相応しい彫りの深い美人で、男女問わず親しみを込めて「はーさん」と呼ばれていた。

「なに、なに、これー」
「はーさん、誰の服、着てんのぉ?」

口さがない女子たちに囲まれて、はーさんは艶然と微笑んでいる。
そのジャケットには、見覚えがあった。
ちょっと個性的なデザインと柄。見間違いようがない。ヒロシくんのものだった。

時間差で、ヒロシくんが教室に入ってくる。二人はわざとらしく目を逸らして、その仕草が余計、さっきまで一緒にいたことを物語る。

視線を感じた気がして振り返ると、はーさんと目が合った。
はーさんとは特別、親しくもなかったけれど、かといって恨まれるような関係性でもなかったと思う。

はーさんは、私をチラッと見てから
「これは……ちょっと借りてるだけよ。外が思ったより寒かったから……」
たぶん、そんなことを言っていた。


ヒロシくんから別れの電話がかかってきたのは、その少し後だった。
たった三ヶ月の恋。
最初と同じように、一方的な電話だった。

ヒロシくんのことを本気で好きだったのか。
正直に言うと、私は今でもよくわからない。
ただ、彼氏彼女の真似事をしたかっただけなのかも知れない。

ヒロシくんには、いろいろと悪い噂があった。
けれども実際には、強引だけど繊細で、いつも優しく接してくれた。
但しそれはきっと、誰に対しても等しく向けられる種類の優しさだったのだろう。


ゴールデンウイークに、何十年ぶりかの同窓会があった。
さすがに連絡先不明の人も多くて、集まったのはほんの10名程度。ヒロシくんの顔もなかった。
不意に、男子の一人が言い出す。

「はーさんて、覚えてる?」
「あー、あの可愛かったコ!」
「俺、ずっと片思いしてた」
「そんな奴、いっぱいいたんじゃね?」

男子たちは大いに盛り上がって、連絡のつかなかった憧れのマドンナに思いを馳せている。
ーーどこかおっとりしていて、天然なとこが可愛かったよな。
ーーちょっと浅黒くて、健康的な感じでさぁ。

どこにでも、よくある話。
そうして私は、今も、晴れた海が嫌い。 



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。