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⑥どんなものも、「私だけの」ものではなかった。

小学校の宿題で、「おうちの人に、あなたの名前の意味を聞いてきましょう」と、言われた。

なので無邪気に聞くと父は、上の姉が「ち」で始まる名前、下の姉が「え」で始まる名前、だから「ちえ」と、屈託なく教えてくれた。

友達の、様々に意味や願いが込められた名付けに比べると、あまりにも簡単な気がした。それでも私は、自分の名前が嫌いじゃなかった。それは、紛れもなく「私だけの」名前だから。

思えばどんなものも、私のためだけに親が用意してくれた「私だけの」ものではなかった。

それぞれの姉たちのために用意されたものは、やがてサイズアウトしたり、必要がなくなったりした時に誰のものでもなくなり、放置される。私はそれらを勝手に手に取り、使用し、所有する。家にはあらゆるものが、色違いやサイズ違いで二つずつあった。

だから一見、何不自由なく、むしろ世間よりは少し高価なものに囲まれていたから、ネグレクトとは決して外からは見えない。

私が育った家には、友達から羨まれるようなものが何でもあった。

背の高いクリスマスツリー、オーディオセット、七段師りの雛人形、そしてピアノ。

当時ピアノは、今よりもっと簡単に買えるものではなく、それはある意味、富の象徴だった。上の姉が高校生になってから、望む進路に必要だからというと、父はすぐさま新品のピアノを購入した。

私は触りたくて、弾いてみたくて仕方なかったけれど、姉から、汚い手で触らないで! と厳しく言われ、鍵盤にはいつも鍵がかけられていた。

けれども数年が過ぎ、姉が飽きてしまうと、いつしか鍵は閉められなくなり、私が自由に使えるようになった。他のたくさんの使い古した洋服や、オモチャや、本のように。

七段飾りの雛人形も、クリスマスツリーも、もう誰も見向きもしなくなって埃を被ったころには、私が自由に触って、飾って、遊ぶことができた。それらは確かに高価で、誰もが持っているようなものではなかったし、誰にも邪魔されず一人きりで自由に遊べる、それは夢のような時間だった。

ある日、仲の良かった友達が、ねだっていたピアノをやっと買ってもらえたと喜んでいた。

誘われて見に行くと、うちのピアノとはどこか様子が違っていた。全体的に艶がなく傷が目立ち、白いはずの鍵盤が明らかに黄ばんでいる。

私は深く考えず、思ったことを口にした。どうして黄色いの? と。
おばちゃんは、少し困った顔をして言った。これは中古品だからよ。

中古品が何かも知らなかったけれど、小学生であっても、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がしていた。私は、自分が恵まれた境遇だと思い込み、その自意識を嫌悪した。

思春期を過ぎて、私と父との関係はどんどん悪化し、望む通りの娘に育たない私に対して父は、ひどく激高した。

私は父から、その死の間際にさえ、お前は出来損ないだ! 思いやりのかけらもない! お姉さんを少しは見習え! と怒鳴られ続けた。

父が生前、見ることのできなかった孫である私の娘は今、まさしく「自分のため」に新品で買ってもらったピアノで、ショパンを、べートーベンを、奏でている。

私は子供を授かり、あれほど欲しかった家庭を手に入れた。自分だけの家庭。ピアノの発表会やサッカーの試合。人に羨まれるような、まるで絵に描いたような幸せごっこを満喫した。

⋯⋯⋯⋯でも、メッキは剥がれた。

私が本当に欲しかったものは何なのか。

誰もが生まれながらに持っている(と信じていた)「自分だけの」家庭に憧れ、そんな実態のない幻を追い求めていた。

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