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それでも、毒になる親 3.育てにくい子

第一子を妊娠し、超音波検査の荒い画像の中に小さな命を見つけた時、私は言いようのない複雑な感情に包まれた。

どうしよう。どうしよう。
私にできるのだろうか。
この命を出産し、育て上げることなんて。
頼る人もなく夫と二人きりで、責任を果たせるのか⋯⋯。

嬉しい、よりも先に押し寄せた、得体の知れない困惑と不安。もしくは恐怖と言ってもいいくらいの緊張感。

私は、これからはじまる妊娠、出産、育児のロードが、まるでストイックな修行僧ででもあるかのように、過酷で孤独な日々に思えた。

それは、他ならぬ自分自身で、勝手に作り上げた幻想の苦行世界であり、「~ねばならない」で囲い込んだ妄想の牢獄だ。

母親になるという未知の体験に対して、私は、ただただ恐ろしく、一人、暗闇の中で怯えた。「なるようになる」だとか「きっと大丈夫」などの言葉は、私には存在しなかった。


産科医が「おめでとうございます! まだこんなにちっちゃくて、かわいいですね!」と高めのテンションで言ってくれて、私は、はじめて薄い笑みを浮かべた。

小さな小さな命がトクントクンと脈打つ様は、本当にかわいい、と私も思う。それは震えるような、体の奥から湧き上がる愛おしさと嬉しさだ。

けれども私の作り上げた「~でなければならない」で、がんじがらめになった母親像の思い込みは、喜びを飲み込んで、これからはじまる日々を必要以上に暗く縁取った。


私の両親は、すでに亡くなっていた。また義父は早くに亡くなっており、義母は施設に入所していた。里帰り出産することもできず、毎日のように親族が手伝いに来てくれることも叶わない。

当時、保育園は待機児童の数が3桁で、私の住んでいた地域では、医療関係者か公務員でなければ実質、入園することはできないと言われていた。

またそのころ、少なかった未認可保育園の中には、不衛生な檻の中に乳幼児を放り込んでおくような悪質な園もあり、悲痛な事故も多発していて、良園を見極めるのが難しかった。

ネットもスマホもない時代、私には、何十年も前に書かれた分厚い辞書のような、育児書だけが頼りだった。「たっぷりと日光浴を」とか「裸で鍛えましょう」とか、今では考えられないような記述が並ぶ、その重い本を、私は繰り返し熟読した。


産まれた子どもはとにかく、よく泣いた。

はじめての慣れない育児では、何が普通で何が異常なのかもわからない。

新生児の数か月はともかく、「まとまって5~6時間眠るようになります」と書かれている時期になっても、1~2時間おきに泣いた。

「育てにくい子」というカテゴリーがあることを、私はずっと後になって知ったけれど、私の子どもはまさしく「育てにくい子」だったのだと思う。

おむつを替えても、授乳をしても、暑くも寒くもなくても、ひたすら泣き続ける。

予防接種では他の誰よりも泣き叫び、次回からは、会場へ続く角を曲がった途端に泣き出すようになった。

お風呂も、シャンプーも、ドライヤーも号泣。ミルクも、離乳食も、押しのけて号泣。泣き疲れて、うとうとしたかと思ったら、突然、飛び起きて、また泣きはじめる。


すがる思いで受けた乳幼児健診では、私の不安や疲労を受け止めてはもらえず、それどころか、それぞれの専門家が笑顔で諭す。

アレルギー予防のために、寝具は毎日、取り替えてください。
部屋の掃除はこまめに。掃除機はゆっくりと丁寧に。
離乳食は手作りで。歯磨きはしっかりと。
自分で食べる練習のために、手づかみしやすい工夫を。
毎日二時間程度、日光に当てて。でも人込みは避けて。

⋯⋯そんなこと、できるわけがない。咄嗟にそう思ったけれど、それと同時に「子どものために」というワードが強くのしかかった。

小児科で、アトピー性皮膚炎や小児喘息を指摘されるたびに、痛々しくて胸が詰まる。

泣くからと言って、シャンプーや歯磨きを止めるわけにもいかない。

私は愚直なまでに一生懸命、「~ねばならない」ことに全力で取り組んだ。

私は、正しい母親でありたかった。「正しい」ことが、子どもにとっては必要で、何よりも大切なことだと信じていた。


子どもがあれほど泣き続けたことも、今の知識があれば、いくつかは推測できたのだと思う。

聴覚や触覚の感覚過敏ゆえの不快さ、苦しさ、辛さを、子どもは、泣くことでしか訴えることができなかったのだろう。

食べ物が混ざっている状態が耐えられない、という、こだわりの特性がわかっていれば、執拗に麺や米と具を分けることも、叱らずに済んだかもしれない。遊んでいるわけでも、行儀やマナーの問題でもなかったのだ。

極端な言い方だけれど私は、幼少期の子育てを、ただの一日も楽しんだことがない。

毎日毎日、背中を押され、何者かに追われ、常に正解を模索する日々。

何とか死なせないように、どうにか命がつながるようにと、祈る思いで一日一日を終えていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。