ジンジャーの香や「智恵子抄」音読す
高校生の頃、高村光太郎の「智恵子抄」を読んで、早熟だった友人たちと議論を交わしたことがある。
……果たしてこれは、純愛なのか? と。
時代背景を考慮しても、これって男性の身勝手な偏愛ではないのか?
自分の理想を押し付けて、架空の女神へと祭り上げたいだけではないのか?
長沼智恵子は、当時の女性としては珍しく高等教育を受けて洋画家を志したけれど、望んだ形では世間に認められなかった。
思想活動家としても、油絵に対するほどの熱意を持てなかった。
それならば平凡な女性の幸せを、と願ったけれど、遂に子どもに恵まれなかった。
そうしてやがて、統合失調症の兆候を見せはじめる。
智恵子自身が、何者でもない等身大の自分を受け入れることができなかったのか?
あるいはそれを阻んだのは、彫刻家、詩人である夫の高村光太郎ではかったのか?
寂しい私は今でも、「純愛」というものが存在するのだと、信じ切ることができない。
ちえちゃんと呼ぶ人ありき朧月
かつて私が、俳句に詠んだその人は、詩を書いている人だった。
学生時代の不幸な事故によって、たくさんの後遺症を抱え、不自由な暮らしを余儀なくされていた。
懸命なリハビリの末、杖を頼りに歩けるようにはなったけれど、手足は真っ直ぐに伸びず、つま先は前を向かない。発語にも困難があり、彼の言葉を一度で正確に聞き取るのは難しかった。
そんな彼の書く詩は、まるで現実を笑い飛ばすみたいに、とても伸びやかで、自由で、瑞々しかった。
私たちは仲間とともに、時には二人で、しょっちゅう呑み歩いた。
自己の不自由な身体を見つめる彼の鋭い眼差しは、不自由な心を持て余していた、当時の私の元へ真っ直ぐに届いた。
お互いに、恋愛感情は少しもなかった。
もちろん、特別な関係ではなかった。
ただ、互いへの尊敬と、信頼だけがあった。
私のために贈ってくれた、最初で最後の詩(なのか?)。
私たちはとても若くて、その分、生きることがとても苦しかった。
だから夜毎、呑み歩いては、一生懸命に人生を肯定しようともがいていた。
時が流れて時代は変わり、私はすでに老境に差し掛かっている。
人生は、思ったほど悪いものではなく、また苦しみだけに満ちているのでもない。
今なら、あんなにガブガブ噛みつかず、「智恵子抄」を素直に鑑賞できるような気がする。
これもまた、一つの愛の形であったのだ、と。
新酒酌む昭和歌謡を鼻歌に
二百戸のタワマン嵌まる秋の空
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