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それでも、毒になる親 1.反面教師

今ではすっかり定着した「毒親」という言葉。この言葉の元になった、スーザン・フォワード『毒になる親(Toxic Parents)』の翻訳版が出版されたのは1999年のことだ。

私が自分の子どもから、ありったけの憎悪と嫌悪感を込めて「毒親だ!」と呪詛されたのは、今から10年近く前の暑い日だった。
私にとってそれは本当に突然の出来事で、愚かなことに当日の朝まで、それほど苦しめていたことに気付きもしなかった。
私はそれまで、子どもたちを誰よりも、愛情深く慈しんで育ててきた、と自負していた。

それなのに、崩れてしまった家庭。
周到に準備して、必死で向き合ってきたのに、それでも子どもたちは深く傷付き、憎しみとともに私に背を向けた。
私はその事実から決して、目を背けてはいけないのだと思う。
子どもたちのためにも。自分自身のためにも。

これは私の、極めて個人的な「毒になる親」の記録である。

被虐待児のほとんどがそうであるように、私は幼いころ、とても「いい子」だった。

その甲斐あってか私は、子ども時代に大人から叱られたことがない。

父は私の言動に興味がなかったし、母は長く自分だけの世界に居た。姉たちは感情的にあたったり、嘲笑したりしたけれど、私が悪いことをして叱られる、という経験はなかった。


集団内の決められたルールは、率先してきちんと守る。冷静に状況を判断して、秩序を乱す言動は決してしない。

私には、ルールを破ってでも叶えたいような欲求がなかった。

欲しい物もなければ、やりたいこともない。例えば赤信号を無視してでも急がなければならない用事もなかった。

真の自由と、無責任な野放図とは、厳格に区別されるべきものだ。


私にとって、公共のルールを守ることは疑う余地のない当然の義務だった。

ルールを守らない人のことも、ルールに縛られることが不快で耐えられない人のことも、私には、ほとんど理解できなかった。

ましてや、脳の神経回路の不具合で衝動性を止められず、守ることが難しい人が存在することなど、もちろん思い至らなかった。

そして、今のような精神医学が発達していなかった昭和の時代に、「いい子」であることの病、に思い至る大人など一人もいなかった。


また、末っ子に生まれた私は、自分よりも幼い子どもと遊んだり、年下の相手と仲良くする機会がないまま大きくなった。

だから長じて、飲食店やスーパーで駄々をこねている子どもや、泣き喚いている子どもを見かけるたびに、私はうんざりした。

スーパーの陳列品を片っ端から触り、肉や魚のパックに指を突っ込み、落として遊ぶ子ども。他の子どもに気を取られて、あるいは気付いていても見て見ぬふりをする若い母親。

そんな光景に出くわすたびに、私は、ルールを守らなかったかつての同級生や、モラルのないいじめっ子たちの顔が浮かび、時空を超えて苛立ち、そのたび不愉快になっていた。

私にとって、幼児から小学生くらいまでの子どもは、いつもうるさくて迷惑な存在だった。


善悪の区別や社会のルールを子どもに教えることは、親の第一の義務だ、と、私は信じて疑わなかった。それは当時の社会通念でもあった。

けれども、私より先に出産した友達や知人は誰も、そんなことを気にしてはおらず、子どもよりも自分のことを優先させているように見えた。

トイレトレーニングや着替えなどの生活習慣については、すべて保育園に任せきりだった。

幼児に対して、泣いたり騒いだりしないように、ジュースとお菓子を絶え間なく与える。(スマホもタブレットもない時代なので)ひたすらテレビやビデオを見せ続ける。

私は、産みっぱなしで育児放棄しているように見える彼女たちを、冷ややかな目で見ていた。きっとろくな子にならないわ、と。

私の心の中は、出産したことのない人間特有の傲慢さで一杯だった。


自分だって、やがて出産するだろうということは、当時の同調圧力の中で避けられないと思っていた。けれどもそれは漠然とした遠い話で、心から望んでいるわけでもなく、現実味を帯びてはいなかった。

他人を非難する目が鋭ければ鋭いほど、当然その刃は自分にも返ってくる。

出産して母になるということは、すなわち子どもに社会のルールやモラルを教育することなのだ。

私は、妊娠するずっと前から、それは重い重い責任を伴うことなのだ、と考えるようになっていった。


あんな人にはなりたくない。
あんな母親であってはならない。
あんな子育ては間違っている。
あんな子育てをしてはならない⋯⋯。

私の狭窄した視野に映る、ほとんどの子育て中の親たちは、堕落した半面教師にしか見えなかった。

その一方的な見方にこそ、私の病の根源が隠されていたのだろう。

けれども自分では、何一つ、それらのことに気付くことができなかった。

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