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All You Need Is Love

今年1月に開かれた「甲府市殺人放火事件」の判決公判において、甲府地裁は求刑通り、被告人の元少年(当時19歳)を死刑とする判決を言い渡した。

「自分が好意を寄せて交際を申し込んだのに、断られたことが許せない。相手の女性を深く傷つけるために、家族全員の殺害を決めた」
そんな身勝手な動機が報道された当時、衝撃を受けた人も多かっただろう。

一方的な思い込みや逆恨みで、極端な事件を起こす被告人たちは、その成育歴に何らかの問題があることが多い。
もちろん、成育歴に問題を抱えたすべての人が罪を犯すわけではない。
けれども、ストレスの多い現代社会において、個人の怒りの沸点は年々、低くなる一方だ。


傷付いた自分の心を癒すためなら、相手を傷付けて復讐しても構わない。
思い通りにならない他者を排除するためには、殺害することも厭わない。
そんな思想は、思い返せば実は古くから、世界中で叫ばれてきた。

個人と個人はもとより、国と国との諍いや、気の遠くなるほど長い年月の紛争だって、あるいは発端は、そんな極めて単純な復讐思想ではなかったか。
「自己のアイデンティティを守ることが、宿命的に他者との争いを生む」
そんな壮大な矛盾を抱えて、私たちは誰にも、どうすることもできない。

前述の被害者に、「被告人を赦せ」と説くことはあまりにも残酷だ。
「事件を忘れて前を向いて生きよ」と諭すことに、どれだけの意味があるというのだろう。

親、兄弟を無残に殺害された紛争地の子どもたちに、敵を赦せと説くことは可能だろうか。彼らはやがて少年兵となって、復讐のために武器を手にするのだろう。


子どもたちがまだ幼かった頃、遊びに来るたびにおもちゃを横取りする親戚の女の子がいた。
思い通りにならなければすぐに、叩いたり、噛みついたりする。大人に叱られると号泣して暴れ、ますます手がつけられなくなる。

勝手に引き出しを開け、子どもが大切にしている宝物を奪ったり、乱暴に扱って壊してしまったこともあった。
当時私は、争いや喧嘩を避けるため、自分の子どもたちにばかり我慢させたり、譲ったりさせていた。今にして思えばそれは、とても残酷な仕打ちだった。

そんな彼女もすでに成人し、今は表現者として成功することを夢見ている。ノルマがあるのか時折、出演する舞台のチケットを買ってほしい、という連絡がくる。私にはそれが、どうにも煩わしいのだ。

頑張っている若い人を応援したいという、純粋な気持ちは、私にだってもちろんある。
その一方で、遠い昔に、我が子が何度も理不尽に泣かされた相手だ、という怒りが、二十年以上たった今も消えない。


携帯電話を持つ人が増え、メールが広まりはじめた頃、乞われてアドレスを交換した幼稚園のママ友がいた。
その人は、服装や髪型にはまったく無頓着で、口数も少なく、挨拶しても無視される。親しくなれそうには思えなかった。

ところが、そのママ友から送られてきた最初のメールを開いて、私はとても驚いた。人懐っこく饒舌な長文で、絵文字を多用し、まるで別人のような文面だったからだ。
パソコン通信の頃から長いキャリアがあるらしく、不慣れな私とは違って、彼女の返信はとても速かった。

やがてメールを重ねるにつれて、彼女に対する違和感が大きくなっていく。
わからないことや、知りたいことがある時だけ「教えて~」とメールが来る。私がもたもたしていると「まだ~?」と催促される。どうにか説明して送信すると返信はなく、しばらくしてまた次の質問が来る。

一般的な情報なら、当時でもパソコンで収集することはできたと思う。けれども明日、幼稚園で必要な物とか、お遊戯会の衣装についてなどのニッチな情報は、ママ友に頼らざるを得なかったのだろう。

今ならわかる。
彼女にとって私は友人ではなく、便利な検索エンジンだったのだ。メールは、情報を手っ取り早く手に入れる手段だった。
怒りや恨みがあるわけではないけれど、二十年以上経ってなお、便利に利用されたんだな、というやるせなさが消えない。


心の狭い私は、こんなふうにいつまでも根に持っていたり、不快な記憶を引きずっていたりする。

そういう意味では、「自分のアイデンティティを守る」ことと「自分を傷付けた他者を赦す」ことは一見、とても遠い。
けれどもそれらは案外、対極なのではなく、同じ輪の中にあるようにも思うのだ。

他者への「感謝」と「尊敬」が、結果的に、自分を救うことになるのを、きっと私たちは知っている。

「自分を大切にする」ことと「自分勝手に振舞う」ことの危うい境界を見定めながら、まるで綱渡りするみたいに生きていくしかないのだろう。
その向こうに、本当の平和があることを信じて。



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