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Sweet Memories

「小学校六年生のクラスのメンバーで集まりませんか」
と案内が来たのは、昨年の秋のことだった。
すぐに、「出席します」と返事を出したものの、私のことを覚えている人が果たしているのだろうか……と一抹の不安がよぎる。

六年生ともなれば、私もうまく、普通の子どもへと「擬態」していた。それなりに居場所を見つけて、クラスの中には友だちもいたし、少なくとも、いじめられっ子はとうに卒業していたはずだ。

懐かしさと、不安と、少しの楽しみを抱えて私は、ゴールデンウイークの混んだ繁華街へと向かった。

誰も彼も、年齢相応に変わってはいたけれど、目元やえくぼなんかに、どことなく面影が残っている。
会場は一気に打ち解けたムードになり、あちらこちらで幼い頃のあだ名が飛び交った。

一番背の高かったヒロキくん。
足の速かったナオミちゃん。
家が食堂だったミキちゃん。
クラス中の女子からモテていたレイジくん。
学校医の息子のマサヒロくん。

そんな彼ら彼女らも、今では企業の重役や経営者になり、あるいは商売をしていて、また私たち世代の特徴なのか、結婚して子どもや孫のいる人がほとんどだった。
皆それぞれに、長い年月を経て、味のある大人になっていた。


そんな中、私については
「ちえちゃん! あの、大きな家と芝生の庭の!」
と皆が口を揃えて言う。

お互いの家を行き来して親しく遊んでいた友だちだけでなく、そう言えば、班ごとに提出する宿題が出るたびに、うちへ集まっていたような気がする。
そうしてやって来た男子たちは大抵、宿題そっちのけで庭に出て、走り回って遊んでしまい、何のために集まったのか、わからなくなってしまうのが常だった。

「お金持ちのお嬢さん」だったと、私を指して皆が言う。
せっかくの楽しい会の空気を壊さないように、私も話を合わせる。
けれどもその実態は、みんなのイメージとはほど遠いものだった。

私が物心ついた頃からずっと、多忙な父は不在がちで、母は病気で臥せっていた。
家族は誰も私に関心がなく、学校でいじめられていることも知らなかった。

やがて私が高学年になる頃には、父の事業が一気に傾きはじめる。父のアルコール依存は激しくなり、母は病気の寛解と引き換えに、今度は宗教に救いを求めて没頭しはじめた。

父が会社を解散したのは、私が中学三年の時だ。
かろうじて残すことができた、人も羨む大きな家の中で、私たちは息を潜めて、その日その日をギリギリで暮らしていた。


そのギャップがおかしくて、私は一人、くすくすと笑ってしまう。
羨望の的だった、芝生の庭のある家も、今はもうない。
既に親を看取った人も多く、実家を片付けた苦労話もどこか共通していた。
しんみりしたり、ゲラゲラ笑ったり、再会の時間はあっという間に過ぎた。

どこにでも、よくある話。
そうして私は、今も、芝生の庭とは縁のない暮らしをしている。



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