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それでも、毒になる親 10.空のポケット

20代でうつ病を発症した後、カウンセリングを続ける中で、私はネグレクトという言葉を知った。

幼少期、衣食住のどれもが表面的には足りていたから、逆に気付きにくかったことも理解した。

それ以来、私は、自分が被虐待児だったのだ、という自覚を持って生きてきた。

だからこそ子どもたちには、自分のような人生を歩ませたくない、と願ってきた。そして何としても幸せになれるように、正しく育てるのだ、と意気込んできたのだ。

そのこと自体が間違っていたとは、私は今も思っていない。

問題はそれが、「私の考える」幸せや正しさに過ぎないのだ、という視点が抜けていたことだ。


子どもたちが小学生だった頃、勉強さえしていれば、何でも欲しい物を買い与える、という話を周りでよく聞いた。

ある時、子どもが「〇〇さんがね、100点取ったら1000円貰えるんだって」と口にした。

俄かには信じられないような話だったけれど、ご褒美にお小遣いを貰うというのは珍しくないようだった。

一体、誰のための勉強なのか。お金を貰うために勉強するのか。ましてや親が、お金で釣るようなことをしてどうするのだろう。私はそんなやり方に、激しく嫌悪感を抱いた。

私の考えを見透かしたように、ちらちらと、こちらの表情を伺いながら子どもは「こんなのは間違っているよね」と言う。

私は、愚かなまでに自信たっぷりに「うん。間違ってる」と言い放った。

そして子どもが、周りの環境に毒されることなく、健全な価値観を身に付けてくれたのだと、無邪気に喜んでさえいた。


また私の地域では、当時から中学受験が盛んで、低学年から塾通いをする子どもも多かった。

一般的な中学受験のための塾は、21時頃まで授業がある。夕食は弁当を持参。帰宅後に、塾の宿題と予習、復習、学校の宿題を済ませる。すると就寝時刻は、早くても午前0時を過ぎる。

どこの家庭も、小学生なのに、どうしてそんな生活が普通にできるのか、私には理解できなかった。

学年とともに徐々に、絵本を読んだり、子守唄を歌ったりはしなくなったけれど、それでも21時就寝は守りたかった。

子どもたちは赤ちゃんの頃からずっと睡眠が浅くて、就寝の延べ時間が長く必要だったからだ。


上の子は、学校の授業を理解するために、補助的な家庭学習の時間を毎日、確保しなければならない。とても中学受験など、考えられなかった。

下の子は、周りの友達につられて、中学受験に興味を示していた。けれどもそれは無邪気な腕試し気分が強く、実際の塾通いも、勉強に追い立てられる苦しさも想像がつかない。

私はこの時も、上の子が過度にコンプレックスを持つことを恐れた。嫉妬の感情からいじめになり、険悪な関係になる二人を、二度と見たくはなかった。

結局、子どもたちの進路については、親の都合と意志を優先させた形となった。

私は、自分が親に進路を強制されたことを、あれほど悔しく思っていながら、結果的には子どもたちに同じことをした。


20品目を取り入れた色とりどりの食事よりも、カップラーメンを、早朝から準備した色鮮やかな弁当よりも、コンビニのおにぎりを、常に子どもたちは望んだ。

理由は単純だった。友達が食べているから。皆がそうしているから。

それは、私の考える正しさとは、ことごとく異なり相反していた。


食事を手作りすることもなく、もちろん栄養価も考えず、ただお金を渡して、カップラーメンやコンビニのおにぎりを食べさせることは、すでに育児放棄ではないのか。

たった一人で買って食べ続けることで、知らず知らずのうちに積み重なっていく心の傷に、成長した後になって気付いても、もう遅いのだ。

私の怒りには、自分自身の心の痛みが多分に投影されていたのだろう。それでも私は、どうしても納得がいかなかった。


子どもたちは、やがて私の顔色を伺い、友達と同じようにしたいという本音を隠すようになった。

時には嘘をつき、家の内と外とで巧妙に態度を使い分けた。私に従う振りをして迎合することが、子どもたちなりの「虐待からの」サバイバル術だったのだろう。

私一人だけが、この茶番劇のような、親子の心のすれ違いに気付かず、いつまでも、正しい子育てをしているのだと自負していた。


暴力や暴言など、「何かをされた虐待」があるように、「何かをしてもらえなかった虐待」もまた、歴然としてある。

私は自分が「何をしてもらえなかったのか」に気付くことのないまま、長い人生を生き、子どもたちを育ててきた。

日常の喜怒哀楽の感情に、細やかに寄り添ってもらい、共感され、慈しんでもらう、という経験を一切、与えられずに成長したこと。

それは、圧倒的な情緒の欠落だったのだ。

これを、ネグレクトの中でも特に区別して、情緒的ネグレクトというそうだ。


毎日の料理や、誕生日のお祝いや、季節の行事など、自分がしてもらえなかったことであっても、たくさんの情報が手に入るものなら、見よう見まねで取り繕うことができる。

けれども、気持ちに寄り添う、共に喜び、共に悲しむ、というような、根本的な心の部分に至っては、誰かにノウハウを教えてもらって行うものではない。

情緒的ネグレクトは、受けた本人も気付きにくい。無自覚であるが故に、なおさら容赦なく、子どもへと連鎖してしまうのだ。

かつて私がそうであったように、子どもたちにとっても一番、大切なことは、心に寄り添ってもらい、真の味方になってもらえる、安心感だったのだと思う。


けれども、私は一体、どうすればよかったのだろう。

どれほどポケットを探ってみても、私には、そんな温かな安心感が見つからない。

そもそも、最初から無かったのだ。無いものは、どんなに出したくても出せない。

私の心のポケットは、最初からずっと空っぽのままだった。

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