見出し画像

それでも、毒になる親 7.人並であること

入園当初は泣いてばかりだった上の子も、何人かのお友達ができたり、年中行事を一通り体験するうちに、少しずつ登園を嫌がらなくなっていった。

公園の砂場や家で、シミュレーションを何度も繰り返していたことが功を奏したのだろう。

年少さんの終わる頃には、幼稚園がどういう場所で、毎日そこへ行ってどんなことをするのかが、何となく飲み込めたようだった。

四季が一巡してようやく、様々な行事の意味や、その準備、段取りも理解できた。

「前にやったことがある」「〇〇と一緒」「知ってる」ということが、この子にとっては何よりの安心材料だった。そして、どんなに些細なことであっても「安心できる」ということが最も重要だった。

今から思えば、「安心できない=不安である」ことが、これまでの幾たびものパニックや号泣の、主な原因だったのだろう。

成長していく過程とは、毎日、目まぐるしく変化していくことと同義語でもある。束の間の安心が訪れても、すぐにまた新たな状況、局面に出くわしてパニックを起こすほどの不安や恐怖に包まれる。

それは子どもにとって、とてつもなく恐ろしく、辛くて苦しいことだったのだ。

こんなことさえ不安に思うのだ、ということを、その時々に私が理解できていたなら、対応も、寄り添い方も、もしかすると全然違うものになっていたのかもしれない。

決して取り返しのつかない、過ぎた日々だからこそ、今も私は、胸の奥がギュッと痛くなる。


「人並でない=普通でない=疎外される=いじめられる」

私の中には、そんな図式が確固としてあった。それは思い込みを通り越して、もはや揺るぎない真実となっていた。

エリートでなくても全然、構わない。けれども能力が「人並」(という厳然たる水準があるのだとして)を大きく下回ることは、いじめに直結する。

世の中で現実にそういう側面はあったにせよ、そんな思い込みが「人並であること」の価値を、自分の中でとりわけ大きくしてしまっていた。


運動会やお遊戯会のたびに、他の子どもたちと同じようにしようと、適応しようと、一生懸命に頑張っている様子を、私は見てきた。

そして、かろうじて適応できている子どもの「人並である」姿に安堵してもいた。

けれどもその一方で、集団への適応を強いることは、子どもに対して何だか残酷な苦行をさせているような、得体の知れない辛さも感じていた。

違和感を覚えながらも、正解を手探りしながら毎日を過ごしていく。私には、立ち止まってみる勇気など少しもなかった。


様々な技能や能力において、子どもに「人並(普通)であること」を要求しながら、一方で私は、自分の信じる善悪については、独自の判断で正しいと思うことを押し付けていた。

友達をからかってはいけない。
誰のことも、いじめてはいけない。
人を叩いたり、蹴ったりしてはいけない。
人の物を盗んではいけない。

これらの公衆道徳は、どれも普遍的な真理であり、すべての人が遵守するべき当たり前の価値観だと、私は信じていた。

そしてそれを教えて守らせることが、親の第一の義務だと思っていた。


けれども中には、規範など平気で守らない子どもがいる。あるいは、大人のいる所と、いない所とで態度を豹変させる子どももいる。

そもそも親自体が、何であれ「勝つ」ことだけが大事だと考えていて、人を押しのけてでも前へ出ろ、と子どもに教える家庭も数多かった。

子どもたちに対して私が強いた、社会性を身に付けることや集団への適応は、周囲の現実にはそぐわない、一人よがりの正義だったのだ。

極端な言い方をすれば私は、誰も守らないルールを、それが正義だからと、守ることを強制しているに等しかった。

赤信号を、他の多くの人たちが平気で渡っている横で、青に変わるまで、その場でじっと待たなくてはならない、と教えてきたようなものなのだ。

その結果、子どもたちは、親と、周囲の現実との狭間に立たされることとなり、他の子どもたちから変なヤツだと排除されることに繋がった。子ども同士の社会では、私が思っているより何倍も、同調圧力が強かった。


私個人が考え、思想、信条として信じることには、何の問題もない。それがどれほど少数派であろうとも、例えばたった一人であったとしても、私には信じた通りに生きる権利がある。

けれどもそれを、子どもたちに押し付けたことは誤りだった。

絶対的な正義など、机上の空論に過ぎない。結局は、数の多い者、声の大きい者が、相対的な正義となる。

正義はまるでオセロのように、いとも簡単に白と黒とが入れ替わる。

私が何よりもまず、大切にしなければならなかったことは、自分の信じる正義を押し付けることではなく、「人並」でなくてもいいんだよ、と立ち止まり、子どもたちの不安な心に、気持ちに、寄り添うことだったのだろう。

けれども私には、一番大切な時期だったにもかかわらず、一番大切なことに、決して気付くことができなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。