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それでも、毒になる親 4.歩けない子

二人目の子どもを妊娠した時、私には子育て経験者としての余裕があった。

乳幼児の生育の過程もある程度、理解していたし、この次はこうなって、この次はこうなる、と、先回りして考えることができた。

あれほど眠らず、泣いてばかりだった上の子も、生活リズムがようやく整いはじめて、よく笑う子どもに成長していた。

私は相変わらずストイックに、修行僧のような枷を自分に課していた。

それでも過酷な日々の中で、子どもの仕草にクスっと笑ったり、心からかわいい、と思えることもたびたびあった。私は緊張の中にも確実に、喜びを見出しつつあった。

未就園児と乳児を抱える生活は、それはそれは慌ただしいものだった。

けれども今から思えば、あの頃が、集団生活の非情な洗礼を受ける前の、最後の平和な時間だったのかもしれない。


二番目の子どもは、寝返り、お座り、と順調に発育したものの、そこから先はピタリと止まり、1歳6か月を過ぎても、歩くことも、伝い歩きも、立つことも、つかまり立ちもできなかった。

これらはどれも、1歳前後にクリアするはずの項目だった。

私は、いくつかの相談機関を訪ねたけれど、どこでも「個人差の範囲」だと、軽くあしらわれた。

「お母さんが神経質になることが一番、良くないんですよ。赤ちゃんは、お母さんを見ています。お母さんはいつも笑顔で!」と、逆に諭される。

「普通は、上の子を真似して勝手に歩き出すものよ」と、先輩ママたちは笑って言う。

私は、さほど気にしていないように装いつつ、家具の配置を変えてみたり、少し高い所に手を伸ばしておもちゃを取るように促してみたり、家の中で様々に試みた。

そして子どもが、「普通ではない」のではないか、と一人、怯えていた。


そんな中で定期健診の担当医だけが、はじめて問題視してくれた。

「脳の病気か、骨の病気か、神経の病気か、いずれかの可能性があります」と、神妙な顔で表情を曇らせ、淡々と恐ろしいことを言う。

子どもは地域の小児科へ回され、さらに、大学病院へと回された。


大学病院では、子どもの発達を専門とする権威ある教授が診察してくれた。けれども、紹介状と検査画像を軽く確認し、子どもを一瞥しただけで、

「この子には、何の異常もありません。お母さんが甘やかすから悪い。甘やかして、甘やかして、そんなふうに、抱っこばっかりしてきたんでしょう。だから、こういうことになる。すべて、お母さんのせいです!」

と、半ば呆れた顔で言い切った。周りを取り囲んだ研修医たちが、無表情のままサラサラとメモを取っている。


私は予想外の言葉に驚いて、途端に激しい動悸がした。頬が上気して息苦しく、うまく返事ができない。混乱して、咄嗟に涙が溢れそうになる。

私は今、はじめて会った、この老教授から、子どもの育て方を誤った、お前のせいで子どもが歩けない、と叱られているのだ。

この人は、私たちの生活の何を知っていると言うのだろう。

私は確かに、この大学病院へ、子どもを抱っこして連れて来た。けれどもそれは、甘やかして抱っこしているのではない。そうするより他に、移動の手段がないからだ。

当時は今よりももっと、子ども連れの移動に理解がなかった。通院のために電車を乗り継ぐ時、ベビーカーは、他の乗客から、あからさまに迷惑がられたり、舌打ちされたりした。

駅のホームでは「ベビーカーは畳んでご乗車ください」とアナウンスされるけれど、母親一人で、子どもを抱えて荷物を持って、ベビーカーを畳むことなど到底できない。


それでも私は、すみません、と頭を下げた。

私には、この老教授に堂々と反論するだけの強さも、適当に受け流すしなやかさもなかった。まともに衝撃を受けて、ただ打ちひしがれた。

その後、一度も子どもを見ることもなく、短い診察は終わった。子どもが終始ご機嫌で、一度も泣かなかったことだけが救いだった。


それからすぐに、理学療法士の運動トレーニングがはじまった。

肢体不自由児のための発達療育センターは、重篤な症状の子どもがたくさん通所していて、私たち親子は、どう見ても場違いだった。

4~5歳や、小学生くらいの年齢でも、歩けない子ども、立てない子ども、座れない子どもがたくさんいる。

この子たちのような、脳や神経の明らかな障害がなければ、親の甘やかしすぎ、あるいは親の怠慢(ネグレクトと同義だと思う)として、片付けられるのも仕方ないように思えた。


しばらく通所するうちに、あっけなく子どもは、つかまり立ちをした。

コツを飲み込むと後は、伝い歩き、一人立ち、一人歩きと順調に、できるようになっていった。

その頃にはもう、子どもは2歳を過ぎていた。

本来「普通」であったはずの子どもの発達を、母親である私の、知識や能力が不足していたせいで、およそ1年も遅らせてしまった……。

姿形のない世間から責められているような気がして、私はまた、背負う必要のない罪悪感を、深く深く心に刻んだ。

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