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それでも、毒になる親 8.いくつといくつ

子どもが小学校に入学する頃には、家庭での、一日のタイムスケジュールがほぼ定着していた。

まるで厳格な寮生活のようで、他人からは、とても窮屈な暮らしに見えたかもしれない。

けれどもそれは、子どもの特性に配慮して、試行錯誤を重ねた末に、たどり着いたものだった。

子どもは、どんなことにも変化を嫌い、毎日決まった時間に同じことをすると安心した。

そしてそれはまた、規則正しい生活リズムを身に付けて欲しいという、私の願いとも一致していた。


学校から帰るとすぐに、手を洗い、うがいをする。

私が選んで用意したおやつを食べる。

種類と量を決めて出さないと、注意をしても子どもは、吐くまで、あるだけすべてのお菓子を食べ続けてしまう。

決して叱らず、何十回でも食べて吐くのを繰り返し、自分でわかるようになるまで根気強く待つのが正解なのかもしれない。けれども私は、たったの数回で音を上げ「管理する」という選択をした。

宿題をする。

明日の時間割と持ち物の準備をする。

ここまでが一連の流れで、その後は週に何度か習い事がある他は、自由に遊んでいいということにしていた。

子どもたちは、夕食の準備をする私の側で、部屋中におもちゃを広げたり、あるいは絵を描いたり、空き箱や色紙を使って工作をしたり、それぞれ楽しく過ごしているように見えた。


夕食は18時。ほとんど遅れたことはない。

私は、給食のメニューと被らず20品目程度、というノルマを自分に課していた。市販品を極力使わず、かなり無理をして食卓を整えていた。

今でもふと気付くと、ニンジン、大根、レタス、ワカメなどと無意識に、目の前の皿の品目を数えていることがある。

毎日の料理は強迫観念とともにあり、私にとって苦行でしかなかった。


食後は毎日、トランプや将棋、オセロ、ボードゲームなどで一緒に遊び、テレビは、いくつかのアニメとニュース以外は消していた。

20時に入浴。お風呂上がりには、それぞれが選んだ絵本を数冊ずつ読む。

21時に就寝。左右に子どもたちを寝かせ、電気を消して眠るまでの間、私は夜毎、小さな声で歌を歌った。そらで歌える童謡を思い出して、子守唄がわりに求められるまま、何曲も何曲もアカペラで歌った。


このタイムスケジュールを私は、ほとんど例外なく遵守した。

親戚が遊びに来ていても。旅行先でも。クリスマスや年末年始であっても。


私は常に、どんなに無理をしてでも、子どもたちに全力で向き合った。

「~ねばならない」で、がんじがらめになりながら、手を抜かず、力を振り絞るようにして、一日一日を悲痛な思いで過ごしていた。

注意深く様子を観察し、少しでも異変がないかと気を配る。

そして専門家に「個人差」だと片付けられた特性を「矯正」して教育する。私は、子どもたちの好き嫌いや、嘘を吐くことを叱った。

それは決して「支配」や「コントロール」などではない、親として子育てに責任を持つことなのだ、と私もまた、思い込んでいた。


小学校になると学習がメインとなる。私の小さかった頃とは違い、一年生でも毎日、たくさんの宿題が出ていた。

私が最初に、子どもの異変に気付いたのは、学習が本格的にはじまった5月頃のことだった。

宿題をしているはずの子どもが、机に向かって微動だにしない。見れば、手も動いていない。30分経ち、40分経ち、さすがにおかしいと感じて、私は声を掛けた。

子どもは、算数プリントの上に、ぽたぽたと涙をこぼした。

どうしたの? どこか痛いの? 気持ちが悪いの?

私が慌てて何を聞いても、子どもは応えない。

算数プリントは白紙のままだった。


どうやら、プリントの答えはおろか、問われている内容自体が理解できないようだった。

足し算、引き算の基本になる、いくつといくつで10になる、という単元だ。1と9、2と8、3と7など、学校でおはじきを使って学習していた。

けれども、先生が何を言っているのか、何をしているのか、子どもにはどうしてもわからないようだった。


私は驚いた。びっくりして、しばらくの間、思考が停止した。

私には、わからない、ということがわからなかった。どうしてわからないのだろう。そんなことは、何となく、感覚でつかむものではないのか。

こんなに初歩の学習で躓くなどとは、これまで私は予想もしていなかった。


上の子の、こだわりの強さや、できないことの数々は私から見ても、何らかの障害では? と疑うような特徴的なものがあった。

けれども当時の基準では、支援が必要な子ども、だとはみなされなかった。

下の子の運動機能訓練で知り合った専門家に、個人的に相談もしてみたけれど、やはり、何の問題もありませんよ、と笑われた。

そして、できないこと、不得手なことを重点的に家庭で補って、学習についていけるように努力してください、と言われた。

私は、これほど尽力していてもなお、子育てに努力が足りない、と言われている気がした。

これ以上、どうすればいいと言うのだろう。

またしても、何もかも母親の責任だ、と責められているように思えて、私は深くうなだれた。

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