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⑦心を閉ざした代償として、花を育てることに没頭した。

私が小学校に入学するころには、母は少しずつ日常生活を取り戻しはじめていた。けれどもそれは、普通のお母さんとは少し違っていた。

母は毎朝4時に起きて、仏壇の前で長々と念仏を唱えていた。その後は、庭の一角にこしらえた菜園の世話、そして家中の緑や花の手入れにたっぷりと時間を費やしていた。

私は一人、生の食パンをかじり、水道の蛇ロから直接、水を飲んで、学校へ向かう。母は誰よりも早く起きていたけれど、私がいつ起きて、いつ学校へ行ったのか知らなかったと思う。

それでも、寝たり起きたりの病人だったころに比べれば、ものすごい回復だった。突然、暴れたり、訳のわからないことを叫んだり、かと思うといつまでも泣き続けたり、そんな症状は、いつの間にか消えていた。

日本庭園ふうの芝生の一角に柵で囲われた、いかにも不釣り合いな家庭菜園。母の治療の一環だから、と父も、渋々承諾したらしい。

そこには、ナス、きゅうり、トマト、いんげん豆など、たくさんの野菜が育てられていた。

また母は、緑の手と言いたくなるくらいに植物を育てるのが上手く、四季折々の花が、常に家のあちこちで咲き誇っていた。それはそれは丹念に世話をしていた。

それとは正反対に、私は、植物を上手く育てられた試しがない。

花束を貰っても、あっという間に枯らしてしまう。また、放っておいていいから、たまに水をあげるだけでいいから、と贈られた観葉植物でさえ、無残に枯らしてしまった。

家やべランダを緑や花でいっぱいにし、あるいは庭の草木の花を見事に咲かせている人に、私は言いようのない引け目を感じる。

緑や花を愛する人は心豊かな優しい人で、そうでない人は冷たく利己的な人間だとレッテルを貼られているような、そんな被害妄想が、いつも私を包み込む。

先日、知人から、たくさん蕾のついたカサブランカを貰った。それは可憐な薄いピンク色で、開いた花弁はとても優雅で華やかだった。私はふと六つある蕾を全て開かせてみたい、と思った。

ネットで調べて水切りの方法や、切り花を長持ちさせる方法を学び、毎日水を換え、ついに、全ての花が開いた。

圧巻だった。

そして、思っていた以上に嬉しかった。

せっせと植物を育てていた母の気持ちが、少しだけわかった気がした。

何かを慈しみ育てることを、簡単に母性などという言葉で片付ける人がいるけれど、それはもっと根元的な、人間としての本能に近いものなのかもしれない。

母は、心を閉ざした代償として、より一層、花や観葉植物や野菜を育てることに没頭していたのではなかったか。

そして、私がなぜ植物を上手く育てられなかったのか。なぜ花を愛する人に対して、微かな嫌悪を感じていたのか。

それは、見向いてくれなかった母への、やりきれない気持ちの投影ではなかったか。

花や植物なんかではなく、私を見て欲しい! 私を構ってほしい! 

そんな、小さかったころの私の、声なき叫びが詰まっていたのではなかったか。

母は、母方の親類や近所の人から、とても慕われていた。そしてその早すぎる死を、本当にたくさんの人が悲しみ、惜しんでくれた。

別れに際し、私たち姉妹は、母が生前に大好きだった、鮮やかで色とりどりの花々と共に送った。

祭壇を埋め尽くした花の、赤や、オレンジや、黄色や、水色を、そのむせかえるような香りを、今も鮮明に思い出す。

生前の母と交わした言葉は多くはなく、そのどれも、もやがかかって、今はもう、うまく思い出すことができないというのに。

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