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④寒さと痛みは、とてもよく似ている。

やがて小学校に入学する頃には、ダイニングルームだったところを急拵えで私の部屋に誂えてくれた。

けれどもこの部屋は、とても寒かった。

北向きの窓から隙間風が入り、一日中ほとんど日の当たらないその部屋は、居間に隣接していた廊下の一角よりもずっと寒かった。

床には薄いクッションタイル、その下は直に床材で、何の断熱対策もなく、真夏以外は身の凍る寒さだった。

私に用意された薄い布団だけではとても寒く、幼い私はパジャマの上にシャツやセーターを重ね着して、時には外出用の上着まで着込んで布団を被った。

それでも吐く息は白く、手足はかじかんでいた。

私は幼くて、例えば毛布を重ねるとか、暖房器具を使って部屋の温度を上げるとか、布団の中に湯たんぽや電気アンカを入れるとか、そういう実際的な知恵を何一つ知らなかった。

きっと家には、そんなものもあったのだろうし、例え無かったとしても、望めば買うことのできる経済状況だったと思う。

けれども父も、母も、姉たちも、私が寒くないかと気遣ってくれることはなかった。

私もまた、寒いという苦痛を誰かに訴えて解消してもらうという、発想も経験もなかった。

私は今、四季を通して、家中の温度管理に多大なエネルギーを割いている。

自分の体感と温湿度計を照らし合わせて、最適な冷暖房器具の組み合わせを工夫する。ドアや窓、カーテンの開け閉めによっても風の流れや温度が変わるから、手間を惜しまず、神経症的なまでに頻繁に調節する。

今はもう、凍るような部屋で震えながら目を閉じることはない。雪のちらつく夜に二十度を超える室温に保つことも、体を温める食事を自分で作ることもできる。

長じて母になった時、私は子どもたちが寒くはないか、暑くはないか、が、気になって気になって仕方なかった。

気遣われなかったことに傷付いてきた私は、気遣い、心を配り、いつも最適な温度、湿度を保つことが、そんな心地よい環境を与えてやれることが、子どもたちへの愛情だと信じて疑わなかった。

けれども例え、どれほど無自覚であったにせよ、また私にとっては愛情だと信じた善意であったにせよ、それは、支配やコントロールの入口だったのだ。そのことの制裁を、私は後に受けることになる。

寒さと痛みは、とてもよく似ている。

痛みと辛味は、それを感じる脳の場所が近いと聞いたことがあるけれど、寒さはもっと、生命の根源を脅かす、人類の記億に刻まれた原始的な痛みなのではないか。

寒いというだけで鬱になってしまうのは、私の中のどこか深いところに刻み込まれた、痛みの記億が消えないからなのかも知れない。

その痛みにはきっと、たった一人で過ごす夜の怖さや、気が遠くなるような寂しさなど、幼かったころの言語化できない悲しみが、固く固く凍り付いているのだ。

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