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それでも、毒になる親 5.甘やかしすぎ

子どもはその後、歩けるようになり、走れるようになった。

それどころか、むしろ多動の傾向が顕著になり、片時もじっとしていられない。一瞬で見失ってしまう危険性があり、私は違う緊張を強いられるようになった。

「(これだけ発達が遅れると)スポーツ選手にはなれませんが、普通に生活するには問題ないでしょう。体育の成績は、諦めたほうがいいですけどね」

療育センターの職員が、慰めているつもりなのか、あははと笑いながら言う。私は顔が引きつって笑えない。

そもそも最初から、スポーツ選手など考えてもいない。

けれども、運動がことごとく苦手で、いじめられたり、仲間はずれにされた自分の幼少期の、苦い経験が真っ先に頭をよぎる。

私は思わず身震いした。
あんな苦痛を子どもたちには、どうしても与えたくない。


また、これから先の学校教育の中で、体育の授業は避けられない。私自身、幼い頃にいくつかの身体能力を身に付けてさえいれば、あれほど辛い目に合わずに済んだはずだ、との考えが根強くあった。

私は子どもたちに、少しでも楽しい毎日を送って欲しかった。どんな苦しみも、取り除けるものなら取り除いてやりたかった。

その結果、私は、子どもたちが「普通」であることにこだわった。

駆けっこは、一番でなくてもいいから「普通」の順位でなければならない。
自転車には「普通」に乗れなければならない。
逆上がりは、できるほうが「普通」だろう。
得意ではなくても、プールでは「普通」に泳げなくてはならない。

「ありのままの姿」だとか「生きていてくれるだけでいい」という発想は、当時の思い詰めた私からは、あまりにも遠かった。


地域には、先輩ママたちに信頼の厚い体操教室があった。

「子どものことを真剣に考えるなら、多少嫌がっても、泣いても、通わせるべき」
「運動能力が身に付いて、風邪一つひかない健康な体になる」

先輩ママたちは口を揃え、自信に満ちてそう勧めてくれた。

闊達に動き回り、楽しそうに笑顔を見せる小学生たちの姿は、私の目にはとても眩しく映った。


けれども案の定、体験教室で子どもたちは泣いた。顔を引きつらせて、この世の終わりのように号泣した。

思わず駆け寄ろうとした私に、経験豊富なコーチが呆れ果てた顔で言う。

「お母さん、いつもこうなの? ⋯⋯これじゃ、甘やかしすぎですよ!」

どこへ行っても、繰り返し、冷ややかな視線とともに投げ付けられる「甘やかしすぎ」という言葉。私にとってそれは、ほとんど呪いの言葉だった。

そうして私は一人、追い詰められた。何が正解なのか、わからなかった。ましてや「正解などない」という真理も、もちろん見えなかった。

私は、子どもたちを「甘やかしすぎ」ているのだろうか?
ルールやマナーを教えて、規則正しい生活をしているのに?
お菓子も、ジュースも、おもちゃも抑制し、やたらとは与えていないのに?
「甘やかしすぎ」ないために、これ以上、一体どうすればいいというのか?

私はこれまで、たとえどれほど変わった母親だと陰口を叩かれても、子どものしたい放題にさせたり、欲しがる物を無尽蔵に与えたりはしなかった。

周りの誰もがそうしていても、子どもの将来に必要なことだと思うからこそ、世間の多数に逆らって育ててきた。

それでもなお、行く先々で「甘やかしすぎ」だと呆れられ、叱責される。

私は、北風に吹きさらされた旅人のように、何重にも「自分だけの正義」というコートを着込んで、固く、頑丈に武装した。

そうしていつの間にか「正義の袋小路」に入り込んでいった。


春になり、上の子は幼稚園に入園した。

はじめての集団生活で適応できないかもしれない、と覚悟はしていたけれど、その様子は私の想像を遥かに上回っていた。

多動傾向のある下の子とは反対に、上の子は動き回ることが苦手だった。

単純作業や、同一作業の繰り返しに固執し、新しい状況に適応するには、人の何倍も時間がかかる。何であれ、変化することをことごとく嫌がった。

幼稚園へ泣かずに登園できるようになるまで、およそ1年かかった。


感覚過敏や強いこだわりについて、私がもっと深く理解していれば、きっと違った対応ができたのだろう。

けれども当時の発達障害に対する認識は、今とは比べ物にならないほど、あまりにも低かった。そんなことは誰も知らない、と言っても過言ではなかった。

一部では、アメリカの論文を翻訳したり、本を執筆している専門家もいたけれど、地方都市の医療や福祉には、それらは全く反映されていない。

重度の自閉症の子どもについては、様々な福祉の手立てがあり、療育機関も充実しはじめていた。

けれども、その基準に満たない子どもに対しては事実上、福祉の対象からこぼれて放置されていた。

私は何の情報もなく、「甘やかしすぎ」だと批判されながら、手探りで育てるしかなかった。

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