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もう一度、はじめようと思う。

はじめまして。

昭和に生まれた私は、ずっとずっと長い間、自分が恵まれた生い立ちなのだと思っていました。

父は会社を経営していて、母は専業主婦で、二人の姉にはそれぞれに可愛がられて、経済的にも裕福で、私は学校を休んだことのない健康体でした。

うつ病が、すべての嘘を剥ぎ落とし、見えていなかった真実を突き付け、そうして私は、本当の自分を知りました。

私は、機能不全家庭の中で育ったアダルトチルドレンであり、ネグレクトサバイバーであり、二次障害としてのうつ病、適応障害、パニック障害のただ中にいました。

けれどもそれは家庭だけの問題ではなく、昭和という時代の、田畑に囲まれた地方都市の、男尊女卑思想が極めて当たり前だった風土のせいでもあり、誰を憎んでいいのかわからないまま私は、真の回復に近付く術を知らずにいました。

そうして知らず知らずのうちに、わが子に虐待の連鎖を繰り返している愚かな母親になり果てていたのです。

被害者から加害者へ。

子どもたちに背を向けられて、私は時に嘆き、時に怒り、時に悲しみながら、何度も何度も考えました。

私の努力ではどうしようもないことも、正解のないこともありました。

あの時の自分の言動が過ちだったのかも知れない、と思い至ることもありましたが、大半はどこでどう踏み外したのか見当もつかないことだらけでした。

そしてまた今更、自分と向き合う作業をしてみても、何の意味もないような気分にとらわれました。過ぎた日々は戻らないし、傷ついたかつての私も、傷つけた子どもたちの心も、なかったことにはできないのだし。

それでも。

それでも、もう一度、はじめようと思います。

苦しみの中で訳も分からず、ただ嘆いて、泣いて、蹲っているのは、もううんざりだから。

閉め切ったカーテンの隙間から突き刺す、凶器のような日差しに怯えるのではなく、堂々と日の光を受けて歩きたいから。

何度も挑んでは挫折してきた、遠い遠い回復の道だけど。年老いて前がよく見えず、周りの音もよく聞こえず、足元は不確かで、不安しかないけれど。

書くことで、変わろうと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。