⑬話しかけても、返事をしてくれる女子はいなかった。
ずっと遠いところにいた母の心が、ゆっくりと帰ってきていた。姉たちはとっくに独立していた。そして、父の事業はうまくいかなくなって、気付けば、昼間からアルコールを飲んでいる姿も珍しくなくなってきていた。
私は、中学生になった。
中学校は弁当持参で、ようやく日常生活を取り戻しはじめた母が作ってくれた。相変わらず顔は合わさなかったけれど弁当は、毎朝、玄関の靴箱の上に置かれていた。
母の作った弁当は、夕べの残りの菜っ葉やこんにゃくがおかずで、そのだしが、ご飯に茶色く染み込んでいた