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2018/01/01~04 大掃除トイレは人に早すぎた|門松や殺人をアートと言い張るサイコパス

写真は正月に行った水前寺成趣園。

■2018/01/01

▼妻がトイレ掃除をしてくれていた。

非常に申し訳ないのだが、おしっこがしたくなったので、「おしっこしたいんだけど」と言った。

「ええ! 掃除したばっかりだからだめよ」
「いつ良くなるのかね」
「とにかく今はだめよ。風呂でして」
「トイレがあるのに風呂でおしっこするのは不条理だとは思わないか」
「とにかくきれいだから使わないで」
「いつ使えるのかね」
「ずっとつかわないで」

心理的にはわかるが、こうなるともはやトイレがトイレではなくなってしまい風呂のことをトイレと呼ばなくてはならない。

例えば宇宙人がやってきたときに、この光景を見たらきっと人類にとってこのトイレという場所は神聖で侵さざるべき霊廟のごとき場所ということになってしまう。

必ず汚れる場所を、綺麗にする。

これは矛盾している。綺麗にしても汚れるのだから。
しかし、その行為は無駄だろうか。

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