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投資#185 玉音放送が流された背景を考察する


昨日は、昭和の日(4月29日)でしたね。

書籍の情報

タイトル:昭和史 松本清張と私 大正末期~二・二六事件
著者:渡部昇一
出版社:株式会社ビジネス社
発行日:2005年12月14日

書籍の抜粋


【天皇】戦前の昭和天皇は一方で現人神(あらひとがみ)とされながらも、みずからを「立憲君主」と規定していた。憲法を重んじ、政府から裁可を請われた場合は(それが意に沿おうが沿うまいが)裁可した。
ご自分の意思を表明したのはたった二回 ー 二・二六事件の鎮圧と終戦の決断のときであった。
「終戦を決められたのならなぜ開戦を止められなかったのかという意見があるが、それはできなかった。わが国には憲法があり、私は憲法にしたがって政府決定を裁可しなければならないからだ」(藤田尚徳『侍従長の回想』より要旨)。
すなわち、終戦時には政府が機能していなかったから自説を開陳したが、開戦時には政府があったのだから政府決定を裁可するより道はなかったのである。昭和天皇は明らかに「天皇機関説」論者であった。

第12章 天皇機関説

感想


第二次世界大戦は、軍部の暴走で
始まったのかとの印象を持って
いましたが、政府として、開戦を
決定していたのでしたね。

経済封鎖をされて、行き詰まり、
開戦やむなしと、そんな風に
世論が誘導されていったのでしょう。

さて、不思議に思っていたのは、
終戦を1945年8月15日に
天皇の玉音放送で国民は伝えられます。

ただ開戦の時は、東条英機らの名前が
教科書で挙げられて、天皇が裁可した
ということは覚えていません。

書いてあったのかな?

やはり、開戦時も終戦時も、主体は
同じであると考えるのが普通かなと
思います。

政府が、開戦を決定したのであれば、
終戦も政府が決定していたか、

天皇が、終戦を決定したのであれば、
開戦も天皇が決定していたか、

と思うのですが、

歴史は、
政府が開戦決定し、天皇が終戦を決断
したので、

なんかちぐはぐ感があったのですね。

日本はコテンパンにやられていましたから、
天皇が終戦を決断しなければ、
終わる判断ができなかったのでしょう。

いままで、8月15日になると、
1945年の8月15日に
玉音放送が流され、終戦に向かう
ことが国民に知らされたことに
何も疑念を持っていませんでしたが、

玉音放送が流された背景が
わかりました。

ちなみに日本では8月15日に終戦
と認識されていると思いますが、
世界的には9月2日でしたよね。

まとめ

玉音放送が流された背景は、政府が機能していなかったから


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