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投資#186 勉強不足、ホーリー・スムート法の「ホ」の字も知りませんでした・・・


書籍の情報

タイトル:昭和史 松本清張と私 大正末期~二・二六事件
著者:渡部昇一
出版社:株式会社ビジネス社
発行日:2005年12月14日

書籍の抜粋


<前略>
しかし、日本の農民や労働者が非常に貧乏であることは、明らかにホーリー・スムート法に由来していたのです。
ホーリー・スムート法が成立した二年後(昭和七年)、イギリスはカナダのオタワで経済会議をひらいて、世界の四分の一を支配するイギリスの経済圏をがっちり固め、それ以外の国との貿易には高関税をかけることを決議します。
イギリスも、植民地をふくむブロック経済に乗り出したわけです。これによって日本はどんどん追い込まれました。ますます貧乏にならざるをえませんでした。というのも、日本は近代国家として必要な天然資源をほとんどもっていなかったからです。
日本と戦い、戦後は日本に君臨したマッカーサー元帥が、戦後の昭和二十七年、アメリカの軍事外交合同委員会で証言しているように、日本は資源として蚕(かいこ)しかもっていませんでした。蚕から絹糸を取って、これを輸出して外貨を稼ぐわけですが、日本にはそれしか資源はなかった。石油も鉄も何もないと、マッカーサーは証言しています。
したがって、日本は石油も鉄も全部外国から買わなければならなかった。そうしなければ、帝国海軍だって動きません。新しく航空隊をつくっても、空を飛ぶことができない。飛行機に必要なジュラルミンだとかアルミ、あるいは鉄やゴム、これらはすべて日本には無いわけです。みな買わなければならない。
では買うにはどうするかといえば、輸出をしてもうけて、そのカネで買うしかない。しかし、輸出するにも日本で生産できるのは絹ぐらいのものでした。これではたいしたものは買えません。しかも売るためには、輸入した物資を低賃金で加工して、安く売るより仕方がない。そんな状態のとき、輸出品に高関税をかけられたら、競争力などなくなってしまいます。
日本の製品に対して、ホーリー・スムート法は、高いもので八〇〇パーセントぐらいの関税をかけました。本来なら百円のものが、百円(本体)+八百円(関税)ですから九百円。
これではアメリカに輸出しても、だれも買ってくれるわけがありません。そこまでいかなくても、一〇〇パーセント、二〇〇パーセントの関税はザラでした。そんな高関税を突破してモノを売るためには、ものすごく安くつくって安く売らなければいけない。
そこで「安かろう悪かろう」になってしまったわけですが、そんなことをすればもうからない。おまけに原料は向こうの言い値で買うわけですから、これは日本にとってとてもつらいことでした。低賃金しか対応策がなかったのです。
このように、当時の日本の貧しさの原因はアメリカのホーリー・スムート法とイギリスのオタワ会議にあったといわなければいけなかったのです。
オタワ会議は昭和七年の七月から八月にかけてひらかれていますが、当時の代表的なエコノミスト石橋湛山(たんざん)や高橋亀吉(たかはしかめきち)や小汀利得(おばまとしえ)は、「オタワ会議みたいなものでブロック経済をやられたら、もう戦争にならざるをえない」といっています。
そんなことを明言したために石橋は戦後、公職追放になっていますけれども、彼らはほんとうのことをいっただけのことでした。
したがって、日本が貧しかったのはなにも上流階級が悪かったからではありません。そうではなくて、国際貿易を止められたことが大きかった。これさえ順調で、関税率も常識的なものであったならば、労働者の給料を上げることもできました。
しかし現実には、それができなかった。これが日本の戦争のほんとうの原因です。
『昭和史発掘』には、ホーリー・スムート法の「ホ」の字も出てきません。オタワ会議の「オ」の字も出てきません。松本さんの見方は、要するにすべて資本家階級が悪かったのだというマルキシズム一本槍です。
この前の戦争のほんとうの原因がホーリー・スムート法およびオタワ会議にあったことをいちばんよく示しているのは、イギリスとアメリカの姿勢です。両国は戦争中にGATT(関税および貿易に関する一般協定)体制をつくろうとしています。それから世界銀行をつくろうともした。
これはつまり、戦争が終ったら「自由貿易世界」をつくろうということにほかなりません。欧米の首脳陣は、第二次世界大戦という大戦争は極端な保護貿易のせいで起ったと考えたから、戦争が終ったら自由貿易体制をつくらなければならないと決意したわけです。
したがって、このホーリー・スムート法およびオタワ会議にふれないと、昭和初期の不景気と貧乏は全部日本の上流階級、資本家階級の責任になってしまうのです。そんな見方は、左翼の掌の上で転がされるようなものです。それでは歴史の真実にふれることはできません。

第13章 二・二六事件と青年将校
大東亜戦争・真の動機

感想


ブロック経済と言う言葉は、
1929年の世界恐慌の
後に登場したとの記憶があります。

二・二六事件が起きる7年前
だったのですね。

ここら辺の時系列の前後は
調べながらでないと、
私の中でごちゃごちゃです(笑)

勉強不足です。。。

ブロック経済のところも
さらっと習って、
覚えてということしか
していませんでした。

商品の8倍もの関税を
かけられたら、貿易は
できませんものね。

上流階級だけが悪いという
習い方はしなかったと
思いますが。

8倍の関税というのは、
習ったのか習わなかったのか。。。

習ったとして、ピンとこなかった
のではないかと思います。

消費税の10%でも
ひーひー言ってますのに。

(だから、消費税10%ぐらい
甘んじて受けれいますという気は
なく、減税して!ですが。)

また、賃金が上げられないのも
ごもっともかと。

そして、国内で人を養え
なくなり、日本人の移民政策
がとられたのですか。

日本が資源国であれば、
また違った道もあったのかも
しれませんが、

今も、昔も、資源に乏しい
のは変わらないのですよね。

資源獲得のために、東南アジア
にも進出して、欧米と衝突する
ことになったのか。

また、ホーリー・スムート法
という言葉も知りませんでした。

また、第二次世界大戦後に
自由貿易が始まったのも、
自由貿易が始まったとだけ
覚えていましたね。

戦争中に、保護貿易の反省会を
していたとは。。。

まとめ

勉強不足、ホーリー・スムート法の「ホ」の字も知りませんでした・・・

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