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難病の父 ついに”介護施設”へ入所 私個人の本音   その1

難病で高齢の父・・・
去年の年末に「緊急入院」してしまってから
自分にとって、色々な点で、改めて!「人生の大きな節目」である事が
日に日に実感している・・・

緊急入院から、既に4ヶ月以上にもなるのだが、年明け早々
正月に母の急逝、そこから、なかなか日常生活へ
心身共に取り戻す事の難しさが
本当にあるのだ!という事を
心から実感してしまっている・・・

介護施設に入所出来たとはいえ、これで切りがつくわけがない!


はっきり言えば、そうだ!

”難病”である事、高齢である事など・・・
諸々の条件がそろっているのだから
一応・・・出来る色々な「公的支援制度」を使ってきては
いるし・・・

介護施設入所する前の
約10年は”自宅療養”であり、緊急入院前までは
まだ「自立」という段階
であった。


(現在は”介護3”となってしまった・・・)

難病の”急速な悪化”・・・確かに!これが私達家族の”大きな痛手”だった??!!


となった事が、いかに考えられないくらいの大変な経験
味わされてしまってきているのか?

機会があれば、このnoteの中でも、記事として書いていこうと
考えている!


この問題は何も・・・
看護や介護にかかってくる費用だけ???”ではない!


施設に入れる”決心”を、家族会議をしたくても
兄と自分といった兄弟だけの話
となっている事が
とても情けない!
それにしても・・・
これが、本当に悩まされてしまっている話の一つ!
でもある!


ここで、改めて正直に言おう!私達兄弟は”チャイルドケアラー”でもあるのだ!


私達兄弟が、こういった立場となっていると、両親から告げられた事は
なかった・・・

こういうチャイルドケアラーとなっている意識も、私自身が生まれる前から存在している事・・・

自分は、いったい?
どこから意識してきたのか・・・?

それは!母の故郷へ「里帰り」という口実が、その一番の!理由であった!!


先の大戦後、高度経済成長期・・・
母の実兄(他家へ“養子”となっていた)が、過労で精神を患ってしまい
帰郷・・・
その後、祖母が、生活面で大変になっていく事を案じ
心身障害者施設へ
叔父を入所させた(叔父は、祖母の逝った後も、穏やかな様子で
その施設で生活でき、76歳で、この世を、全うした)。

その当時の昭和時代では
現在のような公的保険制度、色々な点で、まだまだ未整備であったが・・・
片道約140㎞以上も、月に3回は、その祖母の住む家と、その施設などへ
家族で、父のトラックやバス、列車などを使い、通っていた。

この原因・・・結局!「家族問題」「嫁姑問題」から、きている・・・ あ~あ・・・なんて情けない話・・・


私の家族は、母の親戚関係者が、叔父の入所する
心身障害者施設の近所に住んでいるにも関わらず
叔父の施設へ、着替えなどを届けたり、容体の様子を見に行く・・・
といった生活を、自然と・・・そういった「嫁姑問題」から
叔父の遠距離介護をやらされる事になってしまっていたのだ・・・

実の祖母・・・

彼女は・・・
嫁である叔母(祖母の息子である長男・叔父の嫁が
祖母の背中を、叩く???など)から、家庭内暴力を
幾度か?受けてしまっている事を
祖母自身から、私は、幼い当時から聞いている・・・


こういった“無責任極まりない行動をとった叔母の影響”もあり、私達家族、兄弟は”叔父の遠距離介護”から経験させられてきている運命・・・?!


よく聞く話であるのだが・・・

「家族に”他人が入ってくる”と、人間関係が悪くなってしまうケース
がある!」

祖母と叔母の関係は、まさにそう!
としか、言えないのであった・・・



今回、父の介護施設入所が出来た後、母が急逝という結果から・・・その後!まず、私達兄弟が、こういった「介護問題を、改めて背負う事になる運命となった事」・・・


その想いを・・・
このnoteの中に・・・

この島社会の社会保障や社会福祉問題の一つ
として、私自身の心の本音として
書いてみたかった・・・

それだけである・・・


なかなか心身疲労がとれにくい・・・
そんな毎日・・・


今回は、この辺りで・・・

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