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一人で生きているわけじゃない

今朝も日枝神社詣りへ行ってきました。着いたのは、8時半過ぎでした。

毎月一度はお詣りをしています。

今月は、家族にそれぞれイベントがあり、まずはお礼をして、それから、お願い事を伝えます。

そのための決まったワードがあります。それは、

神恩感謝、家内安全、心願成就

です。

この3つで全てが整います。

ところで、神頼みはお好きですか?

わたしは神頼みをします。

それを信じてもいます。


少し厳しい時期を過ごしていた時がありました。

誰かの、というわけではなく、集団の人の怖さを知った時でした。どんどん追い詰められていくような恐ろしさの中にありました。

その頃、人の考えを超えたところに何かがあるような気がしたのです。

それは神なのかもしれませんし、エネルギーなのかもしれません。

わたしにも分かりません。

けれど、理不尽な事ばかりが次から次へと押し寄せてきた時思ったのです。きっと、これは避けては通れないという事なのだろうと。

それは、あまりに上手くできた人生の練習帳のようで、パスするわけにいかないわたしの人生最強の超難関試験のように思われたのです。

その渦中で気が付いたのです。

世の中には、人の思惑を超えた、もっとずっと大きな力があることに。だからこれは考えなきゃいけないと思ったのです。そんなふうに思えた時から、周りがよく見えるようになりました。

自分から少しだけ抜け出せたのかもしれません。

わたしはその頃から冷静になり、そして、人の言葉と行動のズレに気づくようになりました。

人は追い詰められると自分のことばかりが気になるものでが、そんな時ほど、こちら側から相手側を、そして全体を観察する必要があると気づいたのです。

すると、驚いたことに、わたしの周りに思いやり深い人が誰一人としていなかったのです。自業自得でした。


あれから時が過ぎて、わたしはあの時より遥かにたくましくなり、周りに大切な家族がいて、そして本当の意味で人とお付き合いができるようになっています。

傷だらけになりましたが、それでも、難関試験は突破できました。

面白いことに、時が過ぎて見えてくるのは、彼らが望んだようには輝いてはいないということです。

そして、わたしの傷は癒えました。もうわたしの記憶さえ、そこをうろつかなくていいのです。


人生はそれほど複雑ではないのかもしれません。

人は良いことをしている方が楽ですし、楽しいものです。良いことは上手くいく確率が高いはずです。

しかも、人のために何か役に立つのかもしれないと思えることをしていると、人はもっと楽しくなります。

人生は思った以上にシンプルなのかもしれません。

少なくとも、わたしは以前より遥かにシンプルに物事を考えられるようになりました。


一人で生きてきたと思うな、なんてことをよく耳にしますが、それは本当だと思うのです。

わたしたちは一人ではないと思っています。

そして、望みが叶った時にも、自分の力で成し遂げたとは考えられなくなりました。自分一人の力など本当に限られたものだと思うのです。

わたしには特別な宗教はありません。

けれど、心の中に、なぜか手を合わせたくなるような存在があります。

それが誰なのかわからないまま、今は日枝神社に行きます。

気持ちが洗われるとは、本当です。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※5月26日㈰大阪で小規模の講演会を開催します。ご参加をお待ちしています。

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