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自分が整うと、願いは向こうからやってくる


昨日は祖母の命日でした。もう40数年前の記憶ですが、一緒に暮らした家族の記憶は時が過ぎても色濃く残っているものだと驚くことがあります。

わたしは幼い頃、毎晩おばあちゃんと一緒の布団で寝ていました。朝起きると髪をとかしてもらい、夜は物語を話して聞かせてくれ、暑い夏は団扇でいつまでも風邪を送ってくれました。

今も犬が苦手なのは、おばあちゃんの足に恐ろしい傷跡が残っていたからだと思うのです。わたしは何度も、

「それどうしたの?」

と尋ねました。もう答えは知っていましたが、その傷を目にするたび、いつも同じ質問をおばあちゃんにしました。おばあちゃんは決まって、

「大きな大きな犬に噛まれたんだよ」

というのです。

わたしは今でも、犬がうううううと凄むと、たとえ子犬でも怖いのです。


それから、おばあちゃんとは毎月お寺にいきました。記憶に残るおばあちゃんは、涼し気な夏物の淡い色の着物を着て日傘をさしています。着物のよく似合うおばあちゃんでした。

寺には大人ばかりが来ていて、和尚さんの奥様が、いつも白い小さな紙の袋に入った数種類の和菓子を下さるのです。わたしは恥ずかしくて、それをどうしていいかわりません。そうして、毎度、畳の目の模様と、お菓子の入った白い袋をじっと見ながら、お経の流れる広い部屋でおとなしく座っているのでした。

冬になると湯治に行きました。いつもの旅館が確か2か所あったはずです。季節で場所が違っていたのでしょう。約束でもしていたのでしょうか、おばあさんと同級生の子がいて、わたしたちはいつも一緒に、一日何度もお風呂に入って遊びました。

高校生になった時、隣町の大きな商店で声を掛けられました。その店のおばあちゃんが、きっとあのおばあちゃんでした。知らない大人に嬉しそうに名前を呼ばれて、びっくりしました。

呑気な子ども時代です。

おばあちゃんが具合が悪かった頃、夜、隣にくっつけた布団から手を伸ばし、おばあちゃんの手を握り、「神様、まだおばあちゃんを連れて行かないでください」と本気で祈りました。

そんなことが何度かありました。

幸いにも、おばあちゃんは長生きでした。

今は伝えたいことがあって動き出していますが、わたしは慌ててはいません。自分の周りに温かい家族がいてくれて、平和な日々が過ごせていて、それがまずはわたしにとっては感謝なのです。

4月はずっと本を書いていました。

なぜわたしが女性の働き方の問題点を人に伝えたいのか、そんなことを詳しく書いています。それが昨日で終わるはずでしたが、まだ途中です。

頑張っていますが、まだもう少し時間がかかりそうです。

それでも、わたしは自分が整うと、来るべきものはちゃんと来る、そんな気がしているのです。

慌てず、丁寧に、そして感謝して暮らしていくと、願ったことは意外とするりと叶うような気がしています。

ついつい遠くばかり見たくなりますが、こんな日は、幼かった祖母と過ごした、ゆったりとした時間を思い出します。

今月は大阪で講演会をします。

わたしは変わった人なのかなあと思う時があります。なにしろ、ずっとずっとこの女性の働き方から離れられないのですから。それでも、本を書きながら、やっぱり手放せなかったのには理由があったんだなと思っています。

一体女性の扱いってどうなってるの?と疑問に思っている人、
まったくやんなっちゃうと頭にきている人、
うううっと悔しい思いをしている人、

よかったら講演会にいらしてくださいね。出来たらランチをご一緒したいです。一緒にお話ししましょう!

そして、わたしは今でも神社仏閣が好きです。それは、きっと祖母の影響なのだと思っています。


※最後までお読みいただきありがとうございました。



※5月26日㈰大阪で講演会を開催します!お申込みはこちらから是非。
お会いできるのを楽しみにしています♪


※スタエフでもお話ししています

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