「意識の変化と表現の変容」
「意識の変化と表現の変容」
我々の魂は年を経るごとに変化していく。これは芸術表現に於いては顕著に顕れる。
私も14、5歳の頃は自然界の陽光の変化を描く印象派のモネに強く共感していた。
私は歴史上には存在したが、同時代に尊敬に値する画家を見出さなかった。それで独学で学んだ。
大いなる自然界という優れた教師があり、美術の本もある。後は美術館に行くだけで充分であった。
だが、17歳を過ぎた頃からただ自然界を的確に描写できても心魂や精神を描く事に困難を感じ始めていた。この頃にレンブラントに私淑した。
あくまで彼の生き方、不屈の意志で探求心する精神にである。この頃は作品としては重厚な描き方であった。
私の家庭の複雑な事情とも連動しているが此処では省略する。
21歳頃になった時に感覚が異様に鋭敏になり不眠状態が続いた。当時の仕事は建築現場で鳶職の仕事が多くて、腕力が強かった私は誰でも出来ぬような危険な作業が多かった。
絵画に限らぬが時間さえかければ誰でも技術は習得する。だが技術が身につけばつくほどその技術を捨て去ることは難しい。
それで私は直感的に一気に描くという表現主義的方法で描くようになった。
それまで私を非常に高くしていた人物は私の荒っぽい筆遣いの表現を嘆いた。
「何故、今までのように精妙で緻密に描く事をしないのか?」と。
意識の変化によって表現の方法は変化する。これは意識の変化と連動しているからである。
さらに、さらなる深みへと探求すれば変容は当然の事である。これを理解できない人物は表現の本質にまで至り得なかった、と言わざるを得ない。
だが、この問題は表現者に限られた問題でもなく他分野にも通用する事である。
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