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「魂の琴線」

「魂の琴線」


よく相手の琴線に触れるという言葉が用いられる。

無論、琴線といっても各自各様の琴線があり決して一様ではない。
さらには琴線に触れるという行為自体が既に相手の中に踏み込んでいる。
踏み込むという物言いは拙い喩えである。

不可視なる魂の中に踏み込むという行為自体不可視的なものだからである。
さらに言えば、踏み込む相手の心の有り様が観えていなければ琴線云々とは論外事なのである。

数打てば当たるというものでもない。

言葉と心のある種の化学反応のような精妙な変化を洞察し得る魂の所有者は簡単には琴線には触れぬ。
ちと、難解な物言いをすれば「忌憚無し」の言動を慎む。
和さずとも動じない、という言い方も出来る。

徹底的な相対的立ち居地を保持しつつ即し即さない。

また「君子は豹変す」ともいう。
これは物言いは違えども同じ事である。

いふもかたるもならじとや
これいかにせむ

己の身の処し方は各人各様なれば
各人各様の処し方がある、という言動がある。
曰く、さじ加減とは実に巧妙な言葉である。

透徹した老獪さと無邪気さとは表裏の関係であろうか。

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