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意識改革をすることにした話

※今までの「~だ、~である」の文体をやめ、「~です、~ます」の文体で書いています

 noteの記事を読んでいたら、「記事はひとりに向けて書け」という話を見ました。そのときは「難しいよ~」と思って流してしまったのだけれど、今になって気にかかったので、ちょっと考えてみようと思います。
 その記事を引用したかったのに、どうやらスキを残していなかったようで辿れませんでした。残念です。

 読者を絞って、最初に示しておくといい、と書いてあったので、ためしにちょっとやってみます。

今回の記事は
・私のことはあまり知らない
・noteの先輩
・「だれか」に向けて記事を書いている
人へ、考えを聞いてほしくて書いています。


基本姿勢の違い

 そもそも、「ひとりに向けて書け」と言って実行している人と私では、基本姿勢が違うのではないかという気付きがありました。

「話しかけたい」のか「ひとりごとを言いたい」のか

 明確に相手が設定できる、というのは、この人に話しかけたいというモチベーションが強くある、ということなのではないでしょうか。私が記事を書いている原動力は、どちらかというとひとりごとに近く、それを偶然聞いた誰かが何かを感じたらラッキー、くらいの気持ちで書いています。

 書いている内容も、そんな「伝えたいこと!!」という大げさなことではなくて、日記のようなものから日常の気付きといった感じで、読まれることを意識してきませんでした。

 だから、そんな私がどうやって相手を設定したらいいのだろう? と思ったのですが、すぐにひとつのことに思い至りました。
 日常生活の中で、「ちょっと聞いてよ~」と何気ない話をしたいことはわりとあります。誰にでもなんでも話すのではなくて、やはりそこで話す相手は選んでいる。これだ! ……これですよね??

 つまり、私に関して言えば、大海原にひとりごとを流す意識ではなく、「誰か」に「ちょっと聞いてよ~」と話しかける意識で書くと、自然と読者が想定できるのかもしれません。……たぶん。自信がない。

口調も話しかける意識をすると……

 なんとなく、今まで「~だ、~である」の口調で記事を書いてきましたが、これも選択ミスというか、読まれる意識の未熟さが出ていたのではないかと思います。

 私は人に話しかけるときは、現実でもネットでも、「~です、~ます」の口調が基本です。「~だ、~である」も文章的には話しかけ言葉になり得ますが、やはり自分に馴染んだ話しかけ文体は「~です、~ます」のほうです。
 これを使うだけでも、読まれる意識ができている気がします。

 ……というか、逆に、人に見られて緊張する意識から解放されたくて「~だ、~である」文体を選んでいたのではないかな、という気がしてきました。移転前のサイトならそれでもよかったかもしれないけれど、noteに来て、見られることを選んだのだから、そっちの意識も更新していかないといけませんよね。

誰に読んでほしいか考えてみるぞ~!

 私はWeb小説を書く人種ですが、あっちでもターゲットがブレブレになりがちです。「誰かに向けて」書く意識が全体的に低いと言えるでしょう。
 趣味の延長で誕生日のともだちへ小説を贈ると、なんだかいつもより面白いな? と思うことがあります。それもやはり、普段ふわっふわの読者設定が「ひとり」に決まることが、面白さの秘訣なのだろうと思います。

 noteで読者を決めて書く実地訓練をしたら、そのうち小説にもそれが活きてきたりして……。がぜん、やる気が出てきました。
 手探りで練習していきますから、そっと応援していただけたら嬉しいです。

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