消えたとて浮かばないもの
人生初めての自殺企図の後は、カタルシスに浸って、浸って、元気になった。
生き残ったのならきっとやるべきことがあるだろうって思えたり、せっかく生きているのだから何か意味があるだろう、とか私は元の私に戻れるだろうとか希望を抱いた。
2回目の自殺未遂はあまりにもあっけなく失敗に終わって、死ねなかった悔しさが残った。
今度はもっともっと自分に致命傷を与えられるようにって、今まで調べて得た知識をフルに使って実行した。
その時の心情は恐怖ではなく"永遠の悦び"だった。この世に永遠はないと思いがちだが、死だけは違う。死だけは唯一"永遠"で私は今から永遠になる、そう強く信じていた。
のに、私は永遠にはなれなかった。
目を覚ましたら生きていた...みたいな展開すらなく、意識は清明でずーっと地獄のような現実が続いた。
頼むから、「前みたいに意識を飛ばしたい!」なんてずっと願っていたけどそれも叶わず。死ぬことも叶わず。
うまくいかない人って"死"においてもうまくいかないって解らされたよね。
自殺企図は3回で終わりにしようとはずっと思ってて、だから最後は本気で死を願ったし身辺整理もしたのに、結局全部全部台無しになった。
生き残ると、「生き残ったってことはきっとなにかやらなきゃいけないこととか、使命があるんだよ。」とか言われがちだがそんなものはなくて、ただただ絶望が在るだけだった。
使命もやることも本当に何もなくて、ただただこの世に取り残されているだけだった。
初めての自殺企図の時は助けてもらったことに対する感謝や気遣ってくれていることへのありがたみを感じていたが、それも慣れてきてあまり感じなくなってきた。優しくされることにも慣れるのだなって、すごく贅沢なことだなって。
そんな自分が卑しくてまた嫌になる。
初めての時に浮かんでいた感情アレコレは、だんだん薄れてきて、霞んで、見えなくなった。
初めての自殺企図、目が覚めたあの時、絶望のさなか、私は立ち直れるんだと希望を覚えた。
私は、人はみんな"ストーリー"を持っていると思っていて、それはものすごい絶望の淵に立たされた時、
なんとか踏ん張ってまた幸せになれる!
みたいな、アニメや漫画や小説にありがちな、「なんやかんやあったけど、最終的にはいい感じになりました!」
みたいなサクセスストーリーを持っている、あるいはいずれ手にするものだと(なんとなく無意識に)思っていて、でも実際現実はそう簡単ではなく、私はきっとその"ストーリー"を持たない側の人間なんだなって確信した。
転んで起き上がって、希望を抱いても何度も何度も打ち砕かれて、じゃあせめて、と"ストーリー"自体を終わらせようとしてもそれもできず、「ただただこの世にとどまっているだけの人」になってしまった。
私はそれがすごく苦しい。
幼い時、私は無条件に自分は幸せになれるんだ!、と思っていたし信じていたけれど、
どうやらそれは違っていて、少なくとも20代前半は幸せが確約されていないらしい。
無条件に信じていたものが打ち砕かれるのが本当に辛くて悲しい。小さい頃の私はこんな未来が待っているとは知らなかったと思う。
こんな未来が待っているのなら、どうして生きていかないといけないの?って心の底から思う。
「もう終わりにしよう、全部ね。」で人生は終えられなくて、苦しみ続けなきゃいけないのなら
どうして私は此処にいるの?って思う。
此処にいる意味もわからず、精神障害者だ!って忌み嫌われながら生きて、この人生になんの意味があるの?って思う。
悲観しすぎですかね。でも本当に何も見えなくなってしまったんです。
周りはゆっくり休んでねとかいうけれど、もう飽きるくらい休んだし、どうやらこれは休んだからといって治るものではないらしく、でも周りは休息を勧めてくるから、仕方なく、何もせず、若さと時間を日々溶かして、沈んで消えていく日々に幸せを見出せるほど馬鹿ではない。
中学の虐待を受けていることを自覚したあの日から、毎晩毎晩「もう2度と目が覚めませんように。」と願っているけれど、10年間願っていても残念なことに私には明日がくる。
「明日が来るのは当たり前じゃないよ。」と誰かが言っているのを聞いたし、私もそう思うけれど、たまには当たり前じゃなくてもいいじゃないかって思います。
本当に、早く永遠になりたいです。
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