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すごくつまらない。

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  • カフェイン3部作

    カフェイン中毒の恐ろしさが書かれています。

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4年間通っていた大学を辞めました。

はい。辞めました。 決め手となったのは、1月1日に飛び降り自殺未遂の未遂を起こしたこと。 もう少し遡ると、カフェインをodして死ぬのに失敗して、救命センターに入院し、閉鎖病棟に入院したこと。 私と大学との関係の間にはどうしても"死"という"ワンクッション"が挟み込まれていた。 私がどんなに真面目に頑張ろうが、真剣に誠実に学問に向かおうが、死に邪魔されるだけなので全てが無意味だった。 本当に。4年間の全てが。 人生に無駄なことはないというけれど、それは、無駄なことがない

    • 「死なないで」という枷

      (※この記事を書いた記憶がないのですがちゃんと最後までしっかりと書かれていたので投稿します。) 私は世にも奇妙な「常に死にたい側」の人間である。 死ぬことは自己実現で、自己実現のためには努力が必要ということで、コソコソ薬をかき集めたり、試行錯誤をして縄を結んで木に括りつけたり、ふわっと逝けるポイントを探したりなどと、多分元気な人ならきっとしたこともないベクトルの努力を重ねてきた。 それも持ち前の運のせいか、それとも屈強すぎる身体のせいか生き延びてしまい今に至る。 死ね

      • 10年ぶりに父親に再会した

        今まで何度かこの記事を書こうと思っていたのだが、毎回途中で筆を折ってしまい、今に至る。 今から約6年くらい前、つまり私が18歳の時、10年間会っていない元父親に会いに行った。 10年間会っていないというか、10年前に1度会ったくらいで、それ以前も特に会ったりはしていなかった。 そのため、父親は私の中では完全に謎の存在だった。 父親に関して知っていることといえば、外国人で、すごく貧乏ですごく頭が悪くて、耳が悪くて、アルコール依存症で、そして安酒(メタノール入りの酒)を飲み

        • 自殺がしたい(のに)。

          怖くなった、私に向けられる生の目線が。 2023年の9月の半ば、私は再びカフェインによる自殺をしようと思い致死量の3倍以上に値する量のカフェインを1分足らずで摂取した。 私は薬なら一度に40錠以上飲める体質なのでたくさん飲むには苦労しなかった。 これで人生が終わると思うともう......喜びに満ちていた。 あれほど欲しくないと願っても願っても与えられている生存の権利、喜怒哀楽、感情、意識、記憶とおさらばできるのだ。 その事実はこの上もなく輝いていて私の心を奪った。 も

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        • カフェイン3部作
          3本

        記事

          わからないまま

          私はどうやら春から新生活を始めたらしい。 それも自らの意志で。 はっきり言ってそれをしなくても生きていける状況だった。 仕事も夜職じゃなくて、正社員として働ける職場もあった。 そんな環境があったのに私はそれらに縋ることなく新たな道を切り開いていこうとしてる。 でも目標までの道のりは途方もない。 今やっていることが成功する可能性だってわからないけど、きっとそう高くはない。 でも私は全てを投げ出してでも新たなことに挑戦しようとしている。 世間はこれを「いいこと」だと認識す

          わからないまま

          彫刻刀とランドセル

          世の中に母親や父親はごまんと存在しているが、その中で子どもにとって適切な環境を用意できる親は一体いくら存在するのだろうか。 もっと言えば子どもにとって適切な環境とはどういうものを指すのだろうか。 潤沢な資金があり、それを子どもの教育にふんだんに使える環境のことをいうのだろうか。 それともお金はないけれど身体がちぎれるくらいたっぷりの愛情をかけて育てることをいうのだろうか。 それとも両親はいないけれど、ちゃんとした教育を受けることができてそれなりに愛されている環境のことをい

          彫刻刀とランドセル

          好きと言われる苦しみ。

          Twitterはなんとなく愚痴を吐いたり、とりとめもないことを呟きたかったから始めた。 特に誰かに見てもらいたいという感情はなく、ひっそりと言葉を吐き出し続けていたいなぁと思っていた。 フォロワーとか特にこだわりはなく、アカウントを大きくしたいなどといった目標もなく。 ただ、実際アカウントは私が想定しているよりも大きくなった。 Twitter全体で見たら全然大きなアカウントではないが、どこかの誰かの愚痴垢にしてはまあ大きい方で。 それゆえに色々な言葉を投げかけられるよ

          好きと言われる苦しみ。

          "個人の死"が持つ意味とその個人の持つ要素について。

          つい先日、どこかの誰かの死亡事故のニュースを見た母親の口から、 「かわいそうに。この人の年齢的に、もしかしたら奥さんや娘さんがいるかもしれないのに。そんな状況かもしれないのに亡くなったのはどんなに無念だっただろう。」 という言葉を聞いた。 私はそれは確かに一理あると思いつつ、その類の言葉を聞くたびに私はある種の虚しさを覚える。 この人(母親)は、亡くなった人に〈子どもや家族がいない〉場合や、亡くなった人が〈障害者〉や〈高齢者〉だった場合は「かわいそう」ではないのか、「

          "個人の死"が持つ意味とその個人の持つ要素について。

          パニック障害になりました。

          なるなんて思っていなかった。 どこか遠い世界の、別の話だと思っていた。 本当に。 うつ病になった時に、パニック障害に近い症状はあったけれど、過呼吸とか、倒れるとかはなく、だから診断はつかず、ギリセーフって感じで。 それから治療を重ねるたびに、"そういう症状"は落ち着いてきたから、もうならないものなのだと思っていた。 そもそものきっかけも何なのかよくわからない。 8月の半ばくらいに電車に乗っていたら、気分が悪くなり、座りたいなぁと思ったのだが、満員で座れず、優先席にも元

          パニック障害になりました。

          私が死ねなかった理由

          最近何かを書く意欲も特になくまあそれはそれでいいだろうとnoteを放置しがちで。 でもみんなもそうなのかな?最近タイムラインに新しい記事があることが減ったし、好きなワードで検索をかけても、最新の記事が少なくて、新しい出会いや刺激がない。 なんというか手持ち無沙汰で...。 心を刺激される、ワクワクする言葉を綴る人に最近出会えていない。 今フォローしている人の記事はすごく好きなのだけど、新しい風を感じたくて。 で、なんでこう手持ち無沙汰に感じられるのかと色々考えてみたのだが

          私が死ねなかった理由

          人生で1番愛した人へ

          この感情を咀嚼するのも、言語化するのも本当に本当に難しくて、やっぱり愛というものは形がないなぁと思った。形がない上に複雑で、ぐちゃぐちゃでわけがわからないもの。"好き"だけの言葉では語り尽くすことができない、私の持っている貧弱な語彙でも語り尽くすことができない、もしかしたら地球上に存在する言葉をかき集めても、表現することのできないものだと思っていた。 でも、それでも私がこうして語りたいのは、心にずっと燻っている整理のつかない気持ちを言語化して、可視化してなんとか"答え"を出

          人生で1番愛した人へ

          100の質問やってみた!

          最近投稿が辛気臭くなり過ぎているので、たまには明るい内容も! 自己紹介です、ちゃんとしたやつ! 100問やったことをアピールする題名にしたら、売れないyoutuberの動画のタイトルみたいになってしまった。悉くセンスがない。 まあいいや。 1.お名前は? →🍑🐻‍❄️(ももくま)ちゃんです💓 2.その名前の由来は? →ももクロの杏果ちゃんが好きだったので🍑、あと🐻‍❄️はなんか可愛いからつけた笑 3.性格タイプは?(他の診断もよければ/自分がそう思うでOKです) →IS

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          記憶の断片(入院生活)

          「Aライン。」と、誰かの指示が聞こえる、そう、あの日のように。腕に広がる鈍い痛みと共に懐かしさが頭にじんわりと広がる。 服を全て脱がされて、裸になった。 あの時、どんなに願ってもかけてもらえなかったタオルを、裸の身体にかけてくれた。ありがたかった。 ストレッチャーをガタガタ揺らすほど酷い身体の震えもまた懐かしくて、情けがなく。震えが治るまで必死で息を吸って耐えていたら、誰かが私の背中をずっとさすっていてくれていた。 両手を伸ばして入ったCTの機械の中で、「息を止めてく

          記憶の断片(入院生活)

          消えたとて浮かばないもの

          人生初めての自殺企図の後は、カタルシスに浸って、浸って、元気になった。 生き残ったのならきっとやるべきことがあるだろうって思えたり、せっかく生きているのだから何か意味があるだろう、とか私は元の私に戻れるだろうとか希望を抱いた。 2回目の自殺未遂はあまりにもあっけなく失敗に終わって、死ねなかった悔しさが残った。 今度はもっともっと自分に致命傷を与えられるようにって、今まで調べて得た知識をフルに使って実行した。 その時の心情は恐怖ではなく"永遠の悦び"だった。この世に永遠はな

          消えたとて浮かばないもの

          人生最後の自殺企図

          別に何をしたかを書くつもりはない。 勘のいいみんなならわかると思うので。 どんな方法だったかも書く予定はない。 私が1番嫌っている方法だったので。 あまりにも弱い私は、自分の網膜を彩る赤をじっと見つめて、あー、3年ぶりに吐血しちゃったなぁなんてぼんやりと思っていた。 真っ暗な中で、全く知らないどこの誰かもわからない顔もわからない人の手を一生懸命握りかえしたら、「よかった。」って言われてそれだけのことなのになんだか泣きそうになってしまって、やっぱり私は死んだ方がいいみたい

          人生最後の自殺企図

          どうせなら、美しい死を。

          心が重い。 重く澱んだ空気の中、何も知らない猫たちが空気を読まず、走ったり飛んだりしている。 この人生で何度この景色を目にしただろう、 エアコンの音と、それから外の車の音、それと何かあったらすぐに感情が昂ってしまい、泣いてしまう母親の泣き声の混じった言語が聞こえる部屋で、床の一点を見つめる私、ブラウンのカーペットだけで彩られる網膜、暗くて茶色い景色。 絶望の匂いしかしない部屋で、なんとか現実に"居"なきゃ、ちゃんと自分を保っていなきゃいけなくて、必死に息をする。 何度こ

          どうせなら、美しい死を。