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帰宅中に

なんだか何を書きたいとでもなく、今noteを開いて、記事を書いている。

エコスミスを聴きながら、これからもっと暖かくなったら、暑くなったらきっと合わないだろうなと思いながら。冬っぽい声。
私にとって、テイラー・スウィフト、エコスミス、彼女らの声が大好きなのだけど、冬だなと思う。暑くなると、聞かない。

今は4月末日の夜で肌寒い。

ゴールデンウィークの間の平日は、どこか街の空気がいつもと違う。いつまでもこんな感じがいい。

働きすぎるでもなく、その先には遊びが待っているというような。すぐ近くには楽しみが待っている。
というか、遊びになってしまえばいいのだ、仕事も。

先日、学生時代に所属していた管弦楽団の定演があって聴きに行った。
学生のオケは良い感じと微妙が両方あって、表現とは?仕事とは?という概念を明確に伝える気がした。

時々、金管がオケの足を引っ張っていた。金管には弦楽器のように音程を抑える必要もなさそうだから、きっと上手い下手が明確にないのだと勝手に決めつけていた。
しかし、明らかに音が変だというときがあった。弦楽器は弾きマネができる。誰か上手い人が弾いていてくれれば良い。でも、金管はできない。音がモロに出てしまう。

弾きマネをしていた私には、ちょっと気の毒にも感じた。
バイオリンが必ずしも上手いかというとそうでもなかった。時々音を外していたし、全体を支えていたのはたぶん、ベースだった。
なんとなく、全体のバランスが良かった。失敗したとしても、どことなく気にならなかった。

団長はコンマスの男性だった。コンマスは女性も1人いて、一曲目は男性と比べればちょっと控えめな感じの人が務めていた。

弦楽器の雰囲気を引き上げているのは、この男性なのではないかと感じた。

表現を支えているのは、技術力だけじゃなかった。その人やその人たちが持つ自信や自己肯定感のようなもの、そんなものを見ていて感じた。

たぶん、こんな感じ。

いちばん下にあるのは、見えない安定感。メンタル的なもの。

その上に、技術がある。

白鳥が湖の上をスーッと進んでいくように、表現は水面の上にある。技術力は、白鳥の水面下で忙しく動く足。


仕事とは、そんなものでもあるなと音楽を見ていて、聞いていて思った。
音楽の表現も、記事を書くこともそんなに変わらない。

白鳥が水面を泳ぐ様子は、読みやすい記事と同じ。

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