見出し画像

長文であっても、やっぱり長文じゃだめ

先日、なぜ長文が書けるの?という記事の中で、「愛を込めて長文になっちゃっている」というようなことを書きましたが、「でもやっぱり長文はだめだな」と後から思いました。

長文と感じさせない長文がいいのかなと思います。

私が書いた取材記事、友人は見てはくれていたみたいで、「全部は読めていない…」と言っていました。ですが、やっぱり、あってほしい結果としては、「長文なのに読めてしまっていた」です。

長文なのに、引き付けられてしまい、結果的に読めてしまうってどんな記事だろう?その記事の内容や特性にもよるのだけど、たぶん、引き付ける箇所があって、ぐいぐいと読まされるという感じなのでしょうか。私の経験上はそうです。

それは、ひと固まりで読んでもいいし、気になった内容やワードが入ってきて、読んでしまうというものでもいい。何か心にグッと入るようなものがちりばめられていて、人によってどこにグッとくるかはそれぞれだけど、そうやって引き付けられていくというものなんだと思います。

要は全部は読まなくてもいいけれども、ちゃんと引き付けられるところがあって読める、という感じかなという気がしています。

それには、ズドンと言いたいこと・伝えたいことが割とはじめから乗っかっていることが必要だろうし、ちゃんと軸のある原稿であることが重要なんだろうと思います。

先日、とある全国雑誌に記事が掲載されたけれども、その後、編集者から依頼がなくて、嫌われてしまったのかなというようなことをまた別の知人ライターさんが話していました。
私はたまたまその記事を買っていて、読んだことがあるのだけど、もちろん全然悪い記事ではないし、むしろよく書いてあるなぁ…!って思っていたのですが、その雑誌のほかの記事と比べてみると、ズドンと感が確かに薄かった感じです。そういう場所の記事なのかなという気もするけど、たまにそういう場所であっても、やたらと存在感を放っている記事ありますよね?

私はもともと、ファッション誌の白黒ページの目立たない場所にもかかわらず、ズドンを放っている連載記事たちが好きで、ある程度グラビアを読んだらいつもそこを楽しみに読んでいたクチです。

あえて考えるとしたら、そのズドン!が弱かったのかな?なんて、わからないけれども。
いくら愛があって、長文をたくさん書いても、わかる人にはわかる、という感じになってしまうことはよくあるし、ホント、私もこういうことよくあるから全然人のこと言えない…。それに必ずしも、その人の記事が悪かったことは全然ないと思う…!そしてこの辺のズドン!は結構感覚的なことで、主観的なことなので、何とも言えません。。。

いくらズドンを放っていても、読者から反響があったとしても、編集者から次の仕事を依頼されないことはよくあるかもしれません。でもあまり気にしないことが重要だし!

そして、結局のところ、これは正解でもなんでもないです。

私は愛とズドン!を大事にしたいなと思います。

この記事が参加している募集

#ライターの仕事

7,234件

#仕事について話そう

110,085件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?