何歳からでもできる。遅くない。ちょっと頑張れるのなら

昨日まで一泊二日で訪れた京丹後。
その宿泊先で出会ったある男性を思い出しながら、そう思った。

男性は50代に見える。でも会社員を辞めて(たぶん定年退職って言ってたかな?)というから、もしかしたら60を過ぎているのかも。

背筋はぴっとしているけど、それなりの年齢には見えた。でも、それでも、九州の地元を出て、そして5日前にこの丹後にやってきたという。

「京都ワークステイ」というプログラムに参加して、泊まったHATAYAというゲストハウスでその人に巡り会った。一期一会のようなひとときだった。その男性は、関東で会社員をして定年退職?後、地元九州に戻ってみたら、お店をやろうと思ったという。

その地元でカレー屋さんをやっていたという。たまたま九州で出会ったそのゲストハウスでカレーを作っている男性がそのお店に食べに来て、話をしているうちに、教えを乞うということで九州からはるばる京丹後に来ることになったという。滞在は短くて1か月の予定、2ヶ月、3か月いることになるかもしれない。でもお店は閉めていても、そこにあるから、もちろん再開する予定でいるという。

教えを乞う相手は、金髪のたぶん20代かな?という感じの男性。すごい、60代の男性がわざわざこっちに来て、20代か、まぁいっても30代の若い人からカレーを学ぶなんて。しかも住み込みで。

私は朝、宿で何気なく食器洗剤を貸してほしいとキッチンに誰より早く来ていたその人に話しかけたところから、iPhoneの美しい伊根町の景色を見て、「わぁ素敵ですね!伊根まで行ってきたんですか?」なんて感じのライトな話からのそんな話になった。(ちなみに、伊根は丹後半島の先っぽにある町でまだ行ったことはないが、そのゲストハウスからは車で1時間くらいかかる場所にある)

その場では、「へぇ…!」なんて言いながら、時々「すごいですね!」くらいは言っていたと思うけど、言い表しきれない驚き(それは!マークでしか表現できない)が、その時を終わってなお、じわりじわりと何度か思い出される中でやってきた。

そのときにびっくりしきれないことがある。それがこうして、文章になるような気もする。

さっき、歯を磨きながら、ふとまた思い出して、頭の中に出てきた言葉がこれだった。

「人間、ちょっとでも頑張れる気持ちがあるのなら、いつからでも何歳からでも遅くないのかもしれない」

がんばるという気持ちは、必ずしもポジティブなものだけではない。前向きな気持ちだけでは、泥臭く頑張れないし、この場所を一歩出ようなんて、思わないかもしれない。
それは時にやってくる。

人生の節目のようなもの。

時々、周りを見て焦ったり、じたばたしたくなったり。あるいは、静かにここを出てみよう、なんて思ったり。そういうときが多かれ少なかれ、必ずやってくる。

若いからできる、なんてことは必ずしもない。今のうちにやろう、という気持ちが後押しになることはあるけど、それは絶対に正解ということではない。
確かにそれはある程度は間違いないけれど、若くても元気があっても、頑張ろうと思うことがないときもある。

住み込みということで、朝の割と早い時間帯に男性はシャワーを浴びて出てくる姿を見た。スタッフの中では誰よりも朝早くその宿で見かけたのはそういうことだった。銭湯とかでよく見る100円ショップとかにあるプラスチックのかごにシャンプーなんかを詰めている。手に持って出てくる姿は決して若い人の気楽な感じはなく、もちろん宿泊者とは空気が違っていて一目でスタッフだとわかった。前の晩にもその人を厨房で見ていたけど。

年齢を重ねるということは、ただ老いていくということだけではない。それまでの背景を背負いながら生きているということだ。

自分ではその自覚がなくても、周りの人には何か、そう感じさせるものがある。鏡を見ないと自分の顔って、こんな顔していたのか、わからないように、その人の持つ空気というのも、自分ではわからない。
どんなものを背負って生きているのかも、重いのか軽いのかも、鏡で見るよりももっと難しくて自分ではわからない。

その人は、それなりに大変だっただろうことは、よくわかった。でも、その人を通じて、いつからでもやれる、という気持ちにもなれた。年齢を理由にすることはない。何かをやろうという気持ちはきっと人生で定期的にやってくるものだし。それに正直に生きたらいいのだ。

移住という物語は、そんなふうにして、いろんな年齢の世代の人たちにあるような気がする。
ちょうど、行ったときは移住したり、移住を考えたりするような人が多かったので、そんなことを考えた。

でも、移住とかなんとか、あれは外側の世間が勝手に作っているだけで、あまりそれ自体は別にそれぞれ個別のものだ。

人生はいつでもやれる、頑張れる。頑張ろうと思う気持ちがあるならば。それは体力に必ずしも比例しない。いや、たぶん、そうやって人生の節目に訪れて、体力を使い切って、人生を全うしていくもののような気もする。

だからこそ、私もとことん、自分の気持ちに正直に頑張るときは頑張って、年齢関係なく、今からやっていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?