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「最後まで歩いてみないとわからないぞ」

人生の苦しい時期であればあるほど、その状況が早く終わって欲しいと思う。

心も体も辛い状況であればあるほど、その状況から離れたいと思う。

人間が自分が体験している辛苦から逃れようとすることは自然なことです。

痛みを避けて快を求めるからこそ、人生は楽しくなり、
充実した時間を過ごすことができる。これもその通りでしょう。

ただ、人生では、自分が予期しないかたちで苦労をすることがあります。

自分が特別何かをしたわけでもないのに、大変な状況になる。
その大変な状況は、自分自身のことであったり、家族など大切な人のことであったりします。

夫婦などのパートナーシップ、職場の上司・部下・同僚、地域での人付き合いなどの人間関係。

身体的な怪我や病気から精神的なものまで含めた健康。

仕事や事業などに関係したお金のこと。

それぞれの人生にとって大変なことの種類は様々です。

自分に起きていることであれば、自分で積極的に状況を変えることはできます。

自分の感じ方を変え、考え方を変え、行動を変えて、状況に変化をもたらす努力を自分自身がすることができます。

しかし、自分ではない人に人生の大変な状況が訪れている時、私たちはサポートはすることができますが、その状況は変わってあげることはできません。

その人が自分にとって大切な人であればあるほど、胸が苦しく、自分の心が痛むような経験となるかもしれません。それは、自分に起きた出来事と同じか、それ以上の苦しさや辛さとなるときもあるでしょう。

人生の辛苦を体験している時、その渦中では自分の人生における体験の意味を見出すことができないかもしれません。その状況が一旦の収束を見ても、その後しばらくは整理がつかないこともあります。

そんなとき私たちは、人生を長い時間で捉えることを選択することができます。

ある物語を読んでいるとき、私たちは主人公がこれからどんな体験をして何を感じ、考えて、どう行動していくかを知ることができます。

しかし、当の主人公本人はというと、自分の身にこれから起こることを知ることはできません。とにかく今の状況から主人公自身で物語を進めないといけない。自分で前に進んでいく必要があります。

積極的に進めようとしなくとも、少なくともその世界で生きて、時間を過ごしていくことが必要です。

そして、物語の最後まで主人公が辿り着きます。

その時に初めて、主人公は、自分の歩いてきた道を振り返って、自分の体験が人生でどんな意味を持っていたのかを知ることができます。

それは雷に打たれたような体験になるかもしれません。長く背負ってきた荷物が背中から一瞬でなくなるような感覚かもしれません。または、暗く狭かった視界が高いところから遥か遠くまで見渡すことができる視野を得るかもしれません。

物語の途中では、苦しい出来事は苦しい出来事のままだった。

けど、歩き続けたことで、新しい体験をし、人と出会い、新しい見方を教わり、人の優しさにも触れて、自分の感覚が徐々に変わっていく。

そして、自分の人生に対して認識が変わる、世界の見方も変わる。

そんな風にして、過去の体験を振り返ると、今とはまったく違った見方と意味づけをするに至る。そんなことが起こる

人生は旅。

その途中で色々なことを経験する。

最後まで歩いてみないとわからないぞ。

どうか最後まで歩いてみてくれよ。

その人生、生き切ってみてくれよ。

宝物が見つかるぞ。


普段は意識せず何気なく生きている私たちですが、
神様や仏様からは実はそんなメッセージがいつも届いているのかもしれません。

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