アテネ空港の名もなき料理 | 食べものの記録 #01
ようやく席に着いたとき、我々はちょっとした予定外の出来事に振り回されていた最中だった。
旅にトラブルはつきものだ。
とはいえ今までの旅行では幸い大きな困難に遭遇したことはなく、何かあったといえばこの時くらいなものだったが。
この日は地中海の島巡りを終えてアテネ空港まで戻ってきており、ここからローマで乗り継いで南米に帰る予定だった。
19:30発のローマ行きフライトに乗る予定だったのだが、すでに45分の遅延見込み。そして、45分が過ぎても搭乗ゲートが開く気配はない。
ローマでの乗り換えのバッファは1時間20分しか取っていなかったため、まあ、どう考えても間に合いそうにはなかった。
乗り換え先の飛行機を逃したら、次の便に乗れるのだろうか。そもそも次の便とかあるのだろうか。乗れなかったらローマに1泊?しまった、クレンジングは預け荷物の方に入れてしまったなぁ、などと考えながら、なすすべもなく電光掲示板を見つめるしかないのだった。
そして冒頭へ。
問い合わせてみたものの出来ることは何もないことがわかったので、とりあえずローマまでの飛行機を待つ間、ITA Airwaysのラウンジで軽食を取ることになった。
さて、いくつかあるバイキング形式の料理を覗くと、ひときわ売れ行きの良い煮込み料理のようなものがある。
ピーマン、たまねぎ、オリーブ、鶏肉が入っている煮込み。トマトソースでもクリームソースでもない、一見すると塩味風の見た目だ。
隣の白米と一緒にお皿に取り食べてみると、シンプルなのに味に深みがあって美味しい。特別な何かがあるわけではないのだけれど、3杯ほどおかわりしてしまった。
さて、家に帰ってきてからというものの、ずっとあの謎の煮込み料理のことを忘れられないでいた。
あの時はこの材料なら家に帰ったら作れるかもしれないと思ったのだが、バタバタしていて料理名を見るのも忘れていた。しかも、アテネ空港のITA Airwaysで食べたもののため、あれが果たしてギリシャ料理なのかイタリア料理なのかもよくわからず、リサーチは難航していたのだった。
などで調べてみても、大体はトマト煮込みしか出てこない。イタリアをギリシャに変えても同じようなものだった。
そんな時、画像検索で見た目がそっくりなレシピが。
料理名は、“鶏肉のカチャトーラ”。
との記載がある。
調べてみると、カチャトーラとはイタリア語で「猟師風」を意味し、トマト、玉ねぎ、ピーマンなどを鶏肉やうさぎ肉と一緒に煮込んだものを指すらしい。昔は猟師が獲って帰ってきた肉に、採れた野菜を合わせてその日の食事にしたという。
そして、トマトを使わずにワインやワインビネガーで煮込むローマ風カチャトーラについての記述も。
ここで、空港で食べたあの謎の煮込みはおそらく“ローマ風、鶏肉のカチャトーラ”だろうということで決着がついたのだった。
苦労してレシピに辿り着いたことだしもう一度食べたいと思っていたので、さっそく自宅で再現してみることに。
レシピを見ると、白ワインと乾燥トマトが味に深みを出していることがわかった。
食べてみると、あーこれこれ!と思わず笑みが溢れた。作り方はいたって簡単だったが、達成感もあって喜びはひとしおだ。
私の場合、旅の楽しさは美味しいものとの出会いが半分くらいを占めているのだけれど、何気なく空港で食べたものがお気に入りになることは珍しくない。
シチリア•パレルモの空港で食べた生ハムとモッツァレラチーズのフォカッチャ(ただ切った具材を挟むだけでなぜここまで美味しくなるのかと、悔しくなるほど美味しかった)、ペルー•リマの空港で食べたエンパナーダ(パン生地で挽肉の煮込みを包んだパイのようなもの、ほどよい酸味の生搾りオレンジジュースと一緒に頼んだらとっても良かった)、などなど。
美味しいものを食べるとまた食べたくなるし、家で作れば旅した国を思い出せるのもまた楽しかったりする。
そんなこんなで、ローマ風カチャトーラはちょっとしたトラブルの思い出とともに、我が家のレシピに仲間入りしたのだった。
結局飛行機は、その後1時間以上遅れて出発した。
そのまま当初の予定を大幅に過ぎてローマの空港に着陸すると、機内放送で乗り継ぎ客にそれぞれのゲート番号が伝えられた。はて、間に合うはずはないと思うのだけれど、急いで向かってくださいね、という指示。
ローマの空港はかなり広いし、乗れるのかも分からずにどこにあるかもわからないゲートに走らなくてはいけないという不安の面持ちで、乗り換え客たちは優先的に飛行機を降りた。
そこからは散り散りになって走る客。私たちもその一員だ。
すると少し先で、声掛けをしている乗務員の姿が見えた。
近づくと、みんなでゲートに向かうのでこちらでお待ちくださいね。と言われる。南米に向かう飛行機は他に比べて本数が少ないためか、どうやら我々を待ってくれていたようだ。
ローマ空港の一角に徐々にわらわら集まってくる南米勢。
皆焦った表情だったのが、その輪に加わるとすっかり安堵の表情に変わる。口々に
などと言いながら、「あなた方はサンパウロですか?ブエノス?もう、どうしようかと思いましたよ。」「ですね、私たちの他にもこんなにたくさんいたなんて!」などと会話が盛り上がる。南米の人たちは人懐っこくて、どこでも誰とでもよく喋る。
私はといえば、さっきまで緊迫していたこの状況で聞こえてきた「おっばぁ!」とか「あーいあい…」という可愛く懐かしい響きたちがなんだか可笑しくて、遠いローマにいながらもすでに無事に帰ってきたような安心感を感じていた。
結局50名くらい集まった南米勢は、ぞろぞろと列をなして次のゲートへ誘導されて行く。
スタッフが何度も繰り返していた声掛けを乗客の1人が真似すると、一同からくすくす笑い声が漏れた。
皆の足取りは、もう軽やかだった。
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