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星5の映画

またしても長い。根気のある人、よろしく!

昨日の晩、友にfilmarksという映画のクリップアプリを教えてもらって、便利そうで、楽しそうで、いいのを知れて、嬉しい気持ちでたくさんだったのだが、映画というのには評価が付きものだったことを思い出した。映画以外にも本や漫画、もっと広く売られているモノ、つまり商品全般には評価が付きものである。そのアプリでも、星なんぼだってのが一目でわかるように書かれているし、ユーザーは「みたい!」と「みた!」でクリップできるのだけど「みた!」でクリップするときに星を付けれる仕様だったのだ。

商品に対する星は、どんな意味があるかと言えば、どんな意味があるんだろう。わかんないなあ。わかんないし、わかんないし、どうしても分からないから、意味がないと疑う。

まず、映画に限らず商品全般に与えられる星の仕組みの話をしたい。あれは、私の想像だけど単純に平均の操作がかけられていると思う。平均って、便利で世の中にありふれていて、だけど平均の意味って何とか平均を考えられる場合とかってあまり議論されないことにやや不安を感じる。
平均の意味は、大小さまざまなデータを均して同じ大きさにしたって意味があると思う。そして、次が最も重要で、平均を考えられる場合は、大小さまざまなデータが足し算が可能な場合であるということである。例えば、重さ100グラムのりんごと150グラムのりんごは2つで250グラムのりんごと言えるから、平均の重さを計算できそうだ。でも、重さ100グラムのりんごと150グラムのラフランスだったら足し算できなそうだ。つまり、平均は取れなそうだ。

話を星に戻して、星の平均は取れるだろうか。あなたが付けた星と私が付けた星の平均を取れるだろうか。あなたが星1だと言って、私が星5だと言って、それは星3になるだろうか。ならないよね。でも、今のは例として極端であって、非常に良くない。例えば、あなたの星が3で私の星が3でも足し算できない気がするというのが私の主張なのだ。評価って、足し算できない。感覚を言葉にするのすごく難しいや。

いま、すごく難しいと言ったけど、人によれば簡単に感じるのかもしれない。そもそも、私は私の中でも星5の映画ってよく分からない。さっきまでは、他者との評価の足し算の話をしていたがここからは自己の中で足し算できるか?という話をしたい。ここからは、より個人的なはなしだ!

私は是枝監督の「怪物」やスウェーデン映画の「リトルエッラ」という映画が大好きなのだけど、それに星5を付けられるかと言われると分からなくなる。星というのは、あまりにもふんわりしていて、いったい何が5分のホゲホゲなのか分からないからだ。多分、私が星を付けるなら、私の中で、ある1つの決まった何かに従って星が与えられるだろうと思う。しかし、映画によって、映画の楽しみ方というのは全く違うのだ。いつだって、私の映画は好きか好きでないかで語られ、好きな映画はただ好きという立場で評価する立場にない故に星がつけられず、好きでない映画は好きでない故に関心もないのだ。

評価する立場にないというのは、良し悪しを決められないということで、特に映画のような芸術の分野で良いや悪いという概念を私自身が持ち合わせていないからだと思う。その意味では、悪いはないと思っているし、この世の映画は全て星5な気もする。星3の映画とかおかしいよ!って思う。難しいな。

今日の言いたかったことは、映画のタイトルと共に表示される星(他者らが付けた星たちの平均値)の意味は無意味そう(本来平均が取れないものを平均している)だってこと。あとは、そう思うのは私の中で映画にたいする星という概念が薄いからなきもするってこと。それから、その理由は私にとって映画は好きか好きでないかでしか語られないからである。



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