でも、男が楽と言うわけでもない

こんにちは。ゆりりうすです。
やっと台風が去ったと思ったら、また暑さがぶり返して来ました。
今年は、いつになったら涼しくなるんでしょう?秋は短いのかなあ?
さて、昨今大きな問題になっている「ジャニー喜多川による性加害」を、ゆりりうすは、ちょっと違った視点から考えてみたいと思います。
なぜなら、私の頭の中にも沢山の?マークが出てきたものですから。
皆さんにお聞きして、考えてもらいたいことを、いくつか出しますね。
例えばですね、今回、ジャニー喜多川がやったことは、完全な犯罪です。よって、被害者がいます。これは、男の大人(又はおじいさん)が、まだ性のことを良く分かっていない男の子達に性犯罪をした、という構図であり、事実です。
これがもし、男の大人(又はおじいさん)が、まだ性のことを良く分かっていない女の子に性犯罪をした、としても追及され、あるいは男の子達よりももっと早くに事件が発覚して、逮捕され、もっと厳しい目を向けられるかも知れません。
では、もし、女の大人(又はおばあさん)が、まだ性のことを良く分かっていない女の子に性犯罪をしたと分かったら、どうですか?
勿論、犯罪なんですけど、そして逮捕され、罰を受けることなんですけど、皆さんの心の中で、何か妙な気分になりませんか?
私はこれを、例えば、という話でされた時、かなり妙な気分になりました。どうしてだろう?同じように子供の人権を無視する酷い犯罪なのに。
でもなぜか、男の大人(又はおじいさん)の時と、少し違う感じがしてしまう。
何か、あんまり想像できないんですよね。おかしなことに。
娘にも、同じ質問をしてみました。すると、やはり私が引っかかった所で、娘も「えー、考えられないよー。」と言いました。娘は15歳になったばかりです。
いや、本当に実際、女の人による性犯罪は、男の人ほど多くはありませんが、あるんですよね。
例えば、サルトルとヴォーヴォワールは養女に2人で性加害をしていました。これは後に、された養女が暴露本を出しています。
その記事を見た時、私は、今よりももっと若かったですけど、やはり「サルトル変態、気持ち悪い。」と思い、ヴォーヴォワールには「えっ、何で?」と変な気持ちになっただけでした。
これって、どういうことなんだろう?なぜ、私の家の女性2人は、そこで脳にストッパーが掛かってしまうんだろう?
ここで、仮説を立ててみました。この間、「坊主が屏風に」で、中島らもさんの話を紹介しました。つまり、男の子が坊主が嫌だと言ったので、「じゃあ、女の子も全員坊主にすれば良い。」と言ったら、「えっ、それは可哀想では?」という質問者に、「女の子が可哀想なことは、男の子にも可哀想なんです。」と書いた、らもさんに、目から鱗だった、という話です。当たり前の嫌がる人に嫌なことをさせるのは絶対駄目です、という大前提です。
で、性犯罪の話に戻します。男の人(又はおじいさん)が男の子に性犯罪、それも、すごい数の男の子達に、という事実を私達は、まだ何か受け止め切れてないのではないかと思いました。
なぜか?そういうシチュエーションに慣れていないのではないか?と思います。
女の子の坊主が可哀想と思うのも、慣れていないからですよね。
これって、男がやろうが、女がやろうが同じくらい酷いことなのに、なかなか頭で分かろうとしても難しいです。
本当に、この手の話を私達は、今まで真面目に時間を掛けて、考えて来なかったので、この事態が、とても観念的で、特殊に思えてしまうのではないでしょうか?
私の話、というか、女の子の絵の話をします。小さい頃、保育園や幼稚園で、「自由に絵を描いていいよ。」と言われると、女の子って大体、お家を描いて、お花がある庭を描いて、女の子を描いて、お日さまを描いていませんでしたか?私は描いていました。
一方、男の子は、というと本当に色々で、電車の絵を描いている子もいれば、動物の絵を描いている子もいれば、ロケットの絵を描いている子もいました。断然、男の子の描く絵の方がバラエティーに富んでいて面白いのです。女の子の絵は、なぜ一様でつまらなかったのか?
おそらく、ごく小さな頃から女の子には強烈な刷り込みが為されています。
曰く、「そんなにお転婆だと、お嫁の貰い手がない。」曰く、「お雛様の一夜飾りはお嫁に行くのが、遅くなる。」曰く、「トイレを毎日掃除する子は、良いお嫁さんになる。」そういうのに囲まれて、育ちました。
結果、女の子にとって幸せな安心な絵は、家と庭とお日さまと笑っている自分なんです。
赤ん坊の頃から、男は晴れ、女は穢れを刷り込まれます。
極端ですか?では、どうして女の子達の絵は、みんなほとんど同じだったのでしょう?今もですか?今は、もっと違いますか?
それと同様に男の子達は、今度は、男は男の役割を過度に要求されます。
曰く、「女々しい。」曰く、「女の腐ったの。」これも、強烈な慣習の刷り込みだと思います。
ジャニーズの性被害に会われた人が「心に抱えているのが、苦しくて、自分のお姉さんに話したら、『嫌だ、気持ち悪い!二度とそんな話をしないで!』と言われ、もう誰にもこの事は言えなくなった。」と言った人がいました。
そう、日本においては、女性性はエロスの対象で、見られるのが当たり前で、男性がエロスの対象にはなり得ないのですよね。なので、いみじくも、ジャニー喜多川のお姉さんのメリー喜多川は、「あの子のあれは、病気だから。」という言葉を言ったんですね。
もっと話を戻しましょうか?
江戸時代になります。江戸時代は性におおらかだったと聞きます。まあ、文献だけなので、ここでも可哀想な話はいっぱいあったと思いますが、「男色」という文化までありました。
そこへ西洋が入って来ます。西洋人は、この東洋の野蛮な考えに強く違和感を持ち、日本人に西洋、特にキリスト教的な男女観を教え込みます。まあ、西洋の男尊女卑観です。
それと、日本に元々ある男尊女卑観が、接ぎ木され、余計に、男はこうあるべし、女はこうあるべしの、今の基本が作られた、と言ったら言い過ぎですか?
キリスト教的な考えにのっとるなら、男の方がより厳しいものを突き付けられます。
例えば、今でも神父さんが、沢山の子供(男の子)達に性犯罪をして訴えられる、という事件がまだあります。
それと同様にシスターの間でも、女同士の性的搾取がある、という話を聞くのですが、それはあまり問題にされないし、表に出て来ません。
割りと多くの人が「レズ」は許せるけど、「ホモ」は絶対に嫌だ、と言います。女の人も言うと思うけど、男の人の方で、自分は「ノーマル」と思っている人に限って、これを強く嫌う傾向にある気がします。
「BL」の本でも、綺麗な男ばかり登場します。「そんなこと無いよ!」という人は、「BL」に深くはまっている人は、そう反論するかも知れません。でも、それ女性が多いと思いませんか?つまり、男の人が「BL」を読んでいる人数が、そもそも少ないのでは?
「ユリ」と言われるレズのジャンルも読者は、女は人が多いように思います。違っていますか?
実際の同性愛の人は、ごく普通の見た目だと思いますよ。アーティスティックに描かれていないのだから、当たり前ですよね。
この辺の理解もLGBTQに感心が薄い人には特に、難しいんじゃないかな?
なので、ジャニー喜多川の性犯罪に会った人の証言を聞くのが、そもそも辛い、あるいは聞きたくない人が多いように思います。勿論、みんな頭では分かっているんです。でも、きちんと深く分かっている人がどれ程いるのか、私には疑問です。
そして、その被害者に寄り添える考えがある人が、女の人が被害者になるよりは少ないように感じます。
ゆりりうすは、この「ジャニー喜多川による性犯罪事件」が、いつまでも可笑しな所から議論が一向に進まないのは、まだみんなこの問題をはっきり、深く分かっている人があまりいないからなのではないかと、思ってしまいます。
被害に会われた方達は、一刻も早くその議論が進み、もっと具体的な話になるのを望まれていますよね。本当のスタートラインに立てるように願っています。

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