善良なサイコパス

昨日夕方、近くの公園でお友達と遊んで帰ってきたヨーヨーに「なにして遊んでたの?」と訊くと、「○○くんの本を借りて読んでいた。」だって。

え、みんなで集まって本を読んでいたの?と訊くと、「いや、みんなは何か僕のわからない遊びをしていた。」と。

どうやら、他の友達が何かの遊びで走り回っている中、自分だけ本を読んでいたらしい。

保育園の頃から若干そういう気配はあったけれどマイペースだな。楽しかったと言うから心配しなくていいのかもしれないけど…ということを、後でパパにしたら、

「うらやましいよ。自分は子供のころから、周りに合わせなくちゃっていう同調圧力を感じて行動するタイプだったからなあ。」だって。

うーん。そう言われてみれば私はまったくそういうの感じないタイプで、いつもちょっとずれた子供だった。ヨーヨーは私に似ちゃったのかな。善良なサイコパスっていうかさ。

私がそう言うと、旦那は「善良!?」と変な顔をした。

まあ、一緒に生活する者として、私のおそろしく頑固な一面にも手を焼いてきた君にしてみれば、笑わさないでくれと思うだろうけどさ。

人に親切にしたい基本の気持ちは持ち合わせているし、納得すれば素直なんだよ、私は。

サイコパスの定義を改めて調べてみたら、

①自分以外の人間に対する感情の一部が欠けているがゆえに自己中心的に振る舞う傾向のきわめて強い人 ②道徳観念や倫理観、あるいは恐怖などの感情もきわめて乏しい人

つまり、①ではある(周囲の人の感情に無頓着だから自己中心的)だけど②ではない(倫理観はあり、怖がり)で道を誤らないのであれば「善良なサイコパス」といってもいいのではないだろうか。

表題画像はお借りしたものだが、ジョーカーも不運の連鎖の末に間違ったスイッチ入ってしまうまでは、ただの善良で不器用な青年であった。

社会人になって社会性を身につけてきた私は、今でこそ「きわめて」ではない(と思う)、けれど、小学校低学年の頃は、あきらかに、様子のおかしい子供だったよ。大学くらいで再会した小学校の友達にも「まきちゃんて小学校の時すっごい変わった子じゃったよな?まともになったなあ」と感心されたから、間違いない。これでも成長してきたのである。

ヨーヨーは、公の場ではムッツリと自閉症気味だった私とは違い、きわめてソーシャルにお友達を増やす明るい性質もある一方で、やはり人に合わせようということを思いつきもしない究極のマイペースという意味では、私の素直なサイコパス気質を受け継でしまったのかな。まあ彼も、この先、いろんな事件を乗り越えながら、彼なりに成長していくだろう。

実は、親の育て方がちょっと変だったから自分も変な子だったのではという疑惑をずっと心の中に持ち続けていたのだけれど、ここにきて、そういう個性って生育環境が原因というよりも、ひとりひとりの持って生まれた気質のほうが(そこに遺伝はあるかもしれないが)強いのかなあと思う。

この際、「いや今でもあんた十分変だよ」っていうツッコミはサイコパスっぽく全力でスルーします。

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