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だめか・・・

私は原則、人間のインテリジェンスは経験を超えることができるものだと信じているのですが、ことデジタル・トランスフォーメーションというものについては、ギアを切り替えた先の風速を知らずして、その変化の先導なんてできないのではないかとおもうのです。

石倉氏が素晴らしい頭脳をもつ徳のある人であったとしても、もうちょっと、なんていうか、若い人いなかったのかしらと思いました。

かといって、古い価値観に照らして犯罪的といわれようが、たった一人でその先頭を切り拓き生きてきたひろゆき氏がロイヤル・セプターを持てば、大衆を率いてなにかをソフトランディングさせるとは思えない。

その二つの個性が力を合わせたらなんかすごいことが起きないのかと思うのは楽観的な理想論であって、2回も面接して落とされたということは、やっぱりあまりに乖離が大きすぎ、フュージョン・オブ・コンフュージョンになることが明白だったってことなのかもしれない。

つまり今、間違いなくこの国の惨状には変化が必要なんだけれども、もういろいろどう考えても皆が幸せになるシナリオは望めないところまできている手遅れ感がある。ので、いっそ吹き荒れる風に身をかがめ、何かが一周して宇宙の恩赦がもたらされるのを待つ方針なのかもしれない。

それは八卦で国の行く末をきめるようなものだが、もしかしたら、まじでそうかもと思うレベルの…昨今の気候変動である。

ということを最近デジタル庁の人事をめぐって考えました。

ていうかここまで書いて気がついたんだけど、

なんだかんだ言って、あの漬物石みたいな大臣が一番上にいることには変化はないんですね。

それじゃあ、八卦もだめになるわ。

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