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30年越しの全キャスト集合ライブが最高にエモかった|ときめきメモリアル30周年ライブ

今回は完全なる趣味の余談日記です。

ただ、押し活で悩んでいる方や、押し活で風当たりが強いかもと思う人たちには少しは何かの役に立つかもしれません。

墓場まで持っていくきっかけになったライブについて触れています。

5月18、19日、立川でときめきメモリアル 30th ANNIVERSARY LIVE エモーショナル presented by TOKYO MX というイベントが開催された。

イラストも声優もオリジナルメンバー。そんなことってあるんだ!?

私はこのイベントに参加したが、30年前のキャストが全員揃ってステージに立つこの舞台に行けたことは本当にエモい(朝比奈さんならなんて言うだろうな)ことだったし、最高の経験をさせていただいた。

今更この作品がどういうものかは書かなかったけど、初めての作品は1994年のPCエンジンだったらしい。実際は私が触れたのはPS版だったけれど、私は中学生とか高校生とかの近辺だったので金銭的な面でゲームに触れる環境も余裕もなかった。

そのため、かなり年月が過ぎてからプレイをしたのだが、最初は遊び方が分からなくて、バッドエンドばっかりでこれ何がおもしろいのか?という感想しかなかった。

ヒロインの藤崎詩織は下校をひたすら拒否ってくるし、大して仲良くもないのに嫉妬しまくるキャラ爆弾がまるで意味わからなかった。


はじめて攻略したのがいきなり伊集院レイ

いや、そんなはずなかろうと思うかもしれないが、とりあえずそうだった。とりあえずバッドエンドをひたすら繰り返していた時に、もうやめようと思っていた矢先、ひたすら寝てはイタ電を繰り返していた記憶がある。

何回聞いたか分からないED。でもライブではこれが一番良かった。

そうするとなぜかイヤミ男とのイベントが多発してゴールまで行ってしまった。

妖怪イヤミ男

当時はまったく意味が分からないし理解ができなかった。

え?だれ?新キャラ?って思ったほどびっくりした。こういうゲームデザインかー、と当時は驚いた

あぁそうかと。


攻略法を雑誌で確認してからハマる

当時はインターネットがなかったので、情報源は雑誌オンリー。

とりあえず攻略法が知りたいと思って本屋に行ってから、たしか電撃関係の雑誌を買った記憶がある。

これではないけど、電撃の雑誌だったのは間違いない

それからこのゲームの遊び方が分かって、意図通りの攻略ができるようになったときからかなりハマってしまった学生時代だった。

それからはなんだろうな。とにかくグッズ情報とか雑誌の情報が欲しくてほぼゲーム系は全部買っていた。

とはいえ私は九州のド田舎に住んでいたので、情報収集は一苦労だったし、グッズの販売所がなかったので、福岡まで買いに行くこともあったぐらい。

それでもとにかくこの作品は発売から数年たってもずっと雑誌で取り上げられていたし、ラジオだの関連商品が回転寿司のようにリリースされていたので、本気でファンを殺しに来ていたのは間違いない。

CDアルバム(ドラマ収録付)を月刊で出すとかクレイジーすぎだろ。製作サイドも死ぬほど大変だったろうな。個人的にはこのNo.2が一番好き。「サヨナラを言えなくて」を聞いたとき、メロデイラインとデュエットに衝撃を受けた

オタクに市民権がない90年代

私がハマったのはちょうど高校ぐらいだったけど、とにかく当時の環境は、オタク=キモイ存在という感じだったので肩身がとにかく狭かった。

それでも好きなものはしょうがねぇだろうと割り切ってはいたけど、共有できる人が少なくてつらい思いをしたのは間違いない。

でも本当に断片的な情報でも得られることが楽しかったし、とにかくCD、グッズ、あとは鬼のプライズ確保にとてつもない散財をしてしまったのは今でも忘れない。

親からもしこたま怒られたし、キモがられていた。

でも仕事のお金はほぼグッズに使っていたし、ハマってたし、ゲームもひたすらプレイしてた。

今でも思うけど、月刊でCDがでて、キャラソンが出るわゲームが出るわ、グッズ大量にでるはプライズが鬼のように出るわで、これハマったらいけないやつじゃんってシンプルに思うよね。

まじ、死ぬ。

状況して夢を叶えるきっかけにもなる

ときメモが与えた影響として、私を田舎から上京させるきっかけの1つにもなっている。
10代の私は、ゲームの世界もそうだけど、雑誌編集にあこがれをもっていて、いつか同じような仕事をしたいといった、憧れのようなものがあった。

紆余曲折を経たけれども、雑誌編集記者になり、ゲーム雑誌も担当することになり、KONAMIさんのタイトルはもちろん、ときメモの一部商品や作品を紹介させていただくこともできた。

結果的には有り余る情熱や愛って何かの原動力になるんだよなと心底自分でも確信していたし、誰かの背中を多く押してるって気づかされた。

あれから30年後の2024年

そんなこんなであっという間に2024年になったわけだが、ちょうど1年ぐらい前からTwitterでときメモ30周年みたいなアカウントを見つけて、「超なつい!」と思って情報を追いかけてた。

けど、ライブ情報なんて知らなかった。

そんな矢先、開催2日前にXを見ていたら、ライブがあるってことを初めて知って、急いでチケットを購入した。

出演者を見たら30年前のキャストがマジで全員出るって書いていて、ウソだろって思った。

いやいやまさかな…と。

でもこれがマジで本当だった。今時こんなことあるのか。

しかも片桐さんはニューヨーク在住で、このために来日したなんて凄すぎるなと。片桐さんは歌が大好きなので絶対聞きたいなと楽しみにもしていた1つだったわけですが、途中バテてたりして、それもまたらしいなと思ってすごく良かった。


30年間の清算をこのライブで

ライブではソロ参加だったけど、近くの人と仲良くなって、「いや~あのころは金使いまくってさ~みたいな話しから始まり、ようやっとこの日でケリが付けられますね!」と、半ばリベンジするみたいな感じで意気投合した。

実際私も実家に帰ればグッズが山のように段ボールの中に補完されていて、帰郷したときに「あぁ、こんな青春あったな」なんて寂しさと懐かしさを感じることは多い。

けど、ライブに来てからはむしろ感動しかなかったし、なんかあの時オタクしてて本当に良かったなって心から染みた。

ライブの詳細はXでエゴサすればめっちゃ出てくるからいいとして、控えめにいってもやっぱり凄くよかった。それぐらいハマってたからだし、想い出だったから。

大変失礼ですが、キャストの皆様は結構なお年を召しておりまして、同じように私自身もかなり年を重ねた。

でもその同じ目線でキャストの方たちの声掛け、ファンたちのコールが凄い世界なんだなと感じたし、こんな世界観はゲームの世界では作っているものを見たことがないなと感じた空気だった。

それはいろいろなゲームイベントを実際にして、実際に体験してからもそう思えるし断言できる。

「この後も幸せになろうね」って言葉が染みた

Day1で、如月さん(関根さん)が、歌の合間に「この後も幸せになろうね」っていう言葉が笑いを誘っていたけど、これまじで今の自分に染みた言葉だった。

それはこの数十年、まぁそれなりに生きてはきたけど辛い事も多く、参ってしまっていて、長生きする理由ってなんだろうなって思ってたこともあったから。

でもなんだろうな、こういう瞬間のために人って生きることを楽しみにするのもいいんだろうなと心に響いたセリフだった。


推し活する人に伝えたい

推し活の仕方や程度は人それぞれだけど、1つのことにめちゃくちゃハマること、仮に資産を投げ打つこと(お金でも、時間でも、何かのトレードオフでも)って、その時や第三者から見ればやや冷ややかに見られることがあるかもしれない。

でも今時代は大分変っていて、好きなことを好きだといいやすい世界になっているし、情報も無限にあるから浸りやすい時代でもあると思う。

けどその経験とか行動してきたものは、その後の人生での新しい出会いとか、また新しい好きなものに出会える感度とか、活動源になっているなと思うので、信じて押し活していいと思ってる。

もちろんそこには自己責任という範疇もある程度あるけど、それが数十年後に最高の思い出や経験になるってこともあるんだなと、今回気づかせてくれた2日間だった。


ライブについて

本当にあの時あのままの声が再現されていて、ゲーム画面、ゲームの演出とセットでこれできるのはやっぱゲームだよなぁって思ってみていた。

とりあえずすべてのイントロが鳥肌だったし、ファンサも凄すぎたし、なぜか歌を自分でも覚えていたのが「あ、自分は真面目にきらめき高校に登校してたんだな」って心底思ってしまった感じ。

この経験はとにかく墓場まで持っていくし、ずっと思い出すんだろうと思うけど、自分もゲームのイチプロデューサーとして、長く愛されるゲームやサービスを作るべきだと改めて思った。

本当に良い想い出をありがとう。これからも、陰ながらこの作品に関わった方たち、愛する人たちすべてを応援し続けます。


P.S
コール本を作って提供いただいた熱血先生、制作にかかわった方皆様には感謝です。

最後、レイ様のグッズは買って帰りました。


ドレス姿の衣装も本当にすごいけど、ファンの熱量半端ない


ドレス姿のお花になっててステキすぎた。このイラストめっちゃかわいかった


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