祖母を看取ったら生きる覚悟ができた話
個人的かつ感覚的な話で読みづらいと思いますが、感情の動きの備忘録的という意味も込めてnoteに書いています。↓
先日、父方の祖母が90歳で亡くなった。年齢が年齢だしいずれは覚悟すべきことだとうっすら思っていたが、それまでそのような兆候を耳にしなかったため、こうも近い日の出来事になるとは思っていなかった。
容体の悪化を聞きつけて私は母と兄とともに九州へ向かい、翌日には父も遅れて合流。入院先の病院には三人いる父の兄弟が全員集まり面会をしていた。
私は親族のなかでこれだけ親子兄弟の結びつきを強く感じさせる人たちを見たことがなかった。しばしその中で過ごし、父はこの中では子供であり、弟であることを感じ不思議な心地がした。
長らく父のことは畏怖の対象であり、反面、蔑みの対象でもあった。年月が経つにつれて少しずつその気持ちは薄らいでいたけど、薄らいだと思ったのは「昔は父も大変で仕方がなかったんだ」とか「私も大人になったんだから飲み込まなくては」と自分に言い聞かせて抑圧した結果だったのだと思う。
自分がこの人のことを許容する方向に思考をシフトチェンジしないと埒があかないということは前から理解していた。理屈としては理解しているけども、それでもまだ感情を引きずってしまう。この不一致が余計に苦しみとなっていた。
ところが、祖母を看取ろうというこの場面において、何故かふっとその抑圧した感情が解けていくような感覚がした。自分でもよくは分からないのだが、子や孫、曾孫を幾人も紡ぎ出した人間の命の終焉を目前にして、自分の抱え込んでいたものの質が変わったとでも言えばよいだろうか。
ともかく、集う一同と、父の「父親」として以外の面を見たことが大きいような気がする。その態度がすごく良かったとか尊敬できるものであった、とかじゃなくて。
数日持ち堪えたのち、祖母は息を引き取った。
今までも祖父母の死は体験してきたことであったが、母方の親族はここまで郷土性が強い人たちではなく、もう少し淡々としていたものであった。あくまで私の目線から見たことだし、それが悪いとも思わない。
そのような対比も含めて、この一件を通して人や物事を俯瞰し、一旦受け入れるみたいなスタンスが強まったと思う。
それと、もう家族揃って帰省することなんて無いと思っていたのに(こういう事態とはいえ)穏便に協力し合いながら事を済ませることができたという安堵もあるかもしれない。周りも成長したんだなという実感が得られる機会ではあった。
時間が経つとまた消えかかった負の感情も少し形を取り戻してくると思うんだけど、人生はきっとそれの繰り返しでちょっとずつ方向が変わっていくんじゃないかなぁなどという妙な悟りを得たのだった。
三歩進んで二歩下がるけど自由な方向には行けるよみたいな…(例えヘタクソ)。
未だにふわふわしていてしっかり頭の中がまとまってないんですが、とりあえずちゃんと生きなきゃと思いました。おばあちゃんも、読んでくれた方もありがとうございます。
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