見出し画像

どこまで自意識と戦おうか

⚠ちょいネガティブ含みます⚠

 親、いや家族のことを恨みがましく思うことがある。我ながらいい歳してまあ、とは思っています。
 書くか迷ったけどその要因となったことを挙げるとこんな感じだろうか。

  • 父親の叱責や絶えない夫婦喧嘩

  • 母親が宗教を転々とし洗脳されかかる

  • 母親が闇金で借金し家出(その後戻る)

  • 兄が暴力的&依存的になる

  • 刃傷沙汰で警察出動  などなど

どの辺までよくあることなのかわからないけど、とりあえず二十前くらいまではこれらのストレスが強く、家族にあまりいい感情を持てなかった。それが今でも後を引いて来てしまっている。

 しかし今は寧ろ家族関係というのは良好で、私一人がネガティブな感情を持ち合わせているのではないかと感じるほどである。だから過去の話を持ち出して本人たちにぶつけるのはせっかく築いた良好な関係をぶち壊してしまいそうでできない。というか私も面倒くさい性格だが後出しじゃんけんのようなことを言うのは妙なプライドが邪魔してしまう。

 親に対しては大学も行かせてもらったし、育ててもらった感謝はとてもしている。なにより自分より遥かに長い時間を、厳しい時代を生き抜いて来た人たちとして尊敬している。どこの家庭でもそうであるように、嫌いな部分もありながら好きなところもたくさんある。

 それでも私が時折ネガティブな感情を抱いてしまうことがあるのは事実だ。ここで問題なのは、これは育ててもらった者としてあるまじき姿だと思いしばしば自己嫌悪に陥ることである。そんなにまで苦しいならストレートに一生会わないくらいのつもりで縁を切ればよかったのかもしれない。しかしそれも出来なかったのは家族の間を取り持ったりしてある意味共依存的になっていたからだろう。なんだかんだで懐柔されてしまっていた。そしてそのままズルズルと今に至る。完全に不満を言うタイミングを失ってしまった結果だ。

 いつまでも恨みがましい気持ちを持ちながら、それでいて嫌いにはなりきれずに誘いに乗って一緒に食事したりしている自分が醜くて仕方なく思えるのだけど、たぶんこれ以上どうしようもないのだと思う。もはや戦う対象は親だとか家族だとかではなく己の自意識なのだ。ずっと刀を振りかざしても空振りしてしまうのは自分の影を切っていたからなのではないかと気付いた。

 醜い自分を受け入れるのか、決別すべく変わるのか、正解は無いしどちらでもいいのだろうけど何かターニングポイントが欲しいというか、そろそろ折り合いをつけて生きたいなぁと思うこの頃。
 今まで通り「なるようになる」って感じで気を逸らして生きるのもいいんだけどそれは同時に「いつまでこのまま逃げてればいいんだろう。一生か??」という不安も生んでしまう。一生逃げるのも一つの手だとは思いますが。

 なんだか締まりの無い文章だけどちょっとだけ吐き出させてもらいました。これからもきっと自己嫌悪に陥るけど、這い上がってやるのでよろしゅう頼んます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?