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鬱になって新卒で入社した会社を半年で辞めました。

大学を卒業し、マーケティングコンサル会社に就職したが、鬱になったことをきっかけに、退職して自分の理想の生き方を追求することにした。それはズバリ、お金に依存しない生活をすること。そして将来的には、長島龍人氏の「お金のいらない国」のようなコミュニティを作り、そこで人々と支え合いながら暮らすこと。ここに至るまでの葛藤を記録したいと思います。


違和感

大学では社会学をを専攻し、消費社会のピラミッドの一番下で、搾取され続ける世界の貧困層の存在を知った。学生時代は「自分はこんなにも恵まれているのに地球に何も貢献していない」と罪悪感に苛まれてよく泣いた。恵まれた環境でぬくぬくと大学生をしている自分を恥ずかしく思いながら、将来はそんな貧しい人々の力になりたいと強く思った。

大学を卒業し会社員になった。日々の業務に追われて、学生時代の思いはとりあえず頭の隅に追いやった。時々思い出しては、「私は未熟者で、社会のことなんて何もわかってないんだから、まずは働いてスキルと知識を身につければ、いつかきっと貧困解決に貢献できる」と言い聞かせて、また頭の隅に追いやった。


嘘と矛盾だらけの消費社会

就職したのはマーケティングコンサルの会社だった。大手メーカーが売上を伸ばす方法を、消費者を惹きつけるための施策を、市場規模が縮小していく日本から巨大なマーケットを持つ途上国へと販路を拡大するための方法を、必死になって考えた。
大手メーカーはこぞって新商品を開発し、いかにして消費者に買わせるか、既存顧客をどうやったら囲い込めるか、という問題に頭を悩ませていた。もう世の中に物はありふれていることは分かりきっていても、膨大な資源を犠牲にして大量生産を続ける。全ては売上を出すため、利益を出すため。とにかく売り上げを伸ばすために、はやりのSDGsに乗っかってみたり、人気インフルエンサーに宣伝を依頼してみたり、必死にイメージ戦略を考える。

環境に配慮してるとか、建前ばっかり。何万個もの商品を作るための原材料は、植民地時代以来今日までずっと搾取され続けているアフリカからとってきていて、アジアの「発展途上」国の人々が、「安い労働力」で作っている。矛盾しすぎていて、ばかばかしい。

経済成長が進むことで、途上国の貧しい人々に仕事を与えられるようになるという人もいる。冗談じゃない。工場建設やそれに伴う環境汚染によって生活環境も破壊されて、今までの自然と調和した暮らしができなくなったから、働いて収入を得るしかなくなったのだ。資源を搾取しただけでは飽き足らず、人々の命まで労働力として搾取している。

油田や天然ガスを見つけたら、そこに住む人々は邪魔だから、一方の民族に武器を与えることで民族同士で対立させて、殺し合ってもらう。人々が土地からいなくなれば、思う存分資源を確保できる。土地を追い出された人々には、国から難民支援として大金を送っておけば、その国はいいなりになるし、自分の国も箔が付く。崩壊した政府がどんなふうにそのお金を使っても、知ったこっちゃない。こっちはやることやってるし。なんて素晴らしいビジネス!!

この仕事を続ければ、数年後にはかなり昇給して、今よりもっと気前よく寄付ができるようになるだろう…。でも、寄付したそのお金は、彼らの苦しみの上に聳え立つ、嘘と矛盾で塗り固められた消費社会という高層ビルの、建設途中に出てきたカスみたいなもん。私は寄付と引き換えに免罪符をもらったような気になって、外の世界で起きていることを見なかったことにしようとしている。

このまま、目を瞑って、「将来のため」と言い訳をして、貧しい人々から搾取し続けるのか?仮に、必要なスキルとやらを身につけて今の仕事を辞めたとして、独立してフリーランスになったとしても、そのお金の出処はおんなじ。


終わりのないレース

そんなことを考えながらも、毎日、息をつく間もないほど忙しかった。目の前の業務に追われて、この矛盾に向かい合わず、言い訳ばかりしている自分の弱さに対する恥と苛立ちが、頭の中でぐるぐると渦巻いていた。

仕事の合間や就寝前のわずかな自由時間にまであれこれ考えなくて済むように、AIに完璧に分析された、私の好みの通りに表示されるインスタの検索欄を延々とスクロールする。ドーパミンを分泌させて、束の間の快感に浸る。翌日に影響が出ない程度に切り上げて、眠りにつく。

そして週末が近づくと、土日の過ごし方を考えては焦る。土日のうちにしっかりリフレッシュしておかないと、また地獄の1週間を過ごすことになる。 平日の隙間時間にインプットした私好みのインスタ広告の指示通りに、サーフィンのレッスンを受けに行った。3時間かけて海まで出ていって、必死にサーフボードの上でバランスを取りながら波に揉まれて、また3時間かけて家に帰った。余裕があればそのまま社会人バスケの練習に参加した。平日にそなえて少しでも多く運動して、少しでも多くセロトニンを分泌させておきたかった。

そして、週末に友達と飲みに行くのを楽しみに、また緊張しながら月曜日を迎える。完全に消費社会の奴隷になってしまったなあと思いながら、鼻の先にぶらさげられたパンを脇目も振らずに追いかける犬のように、1週間を消化する。


鬱になった

ある日突然、布団から全く動けなくなった。全てのものに興味を失って、ただぼーっとスマホをいじるのでさえ、集中力が続かなくて、できなかった。ぼーっとして、泣いて、寝て、起きて、ぼーっとして、泣いて、を繰り返した。

寝るのも簡単ではなかった。普段あまりお酒は飲まない方だったけれど、頭をぼーっとさせないと胸が苦しくて、呼吸が浅くなって心拍数も上がるので、少しでも落ち着きたくて、スーパーで買ったラムの瓶を枕元において、耐えられなくなるとそれを割らずに飲んだ。酔いが回るとやっと眠気がやってきて、眠りにつくことができた。

あの違和感と、消費社会に対する疑問と自己嫌悪は、いつまでも無視できるものではなかった。鬱になって、この消費社会の構造の中で生きていくことはできないということに気づいた。


本当にやりたかったこと

2ヶ月もするとだんだんと回復してきて、泣く回数も減った。
少しずつ前向きになってきた頭で、自分が本当にやりたかったことはなんなのか、どんな時にワクワクするのかを思い出してみた。

それは、「お金のいらない国」を読んだときのこと。お金ではなく、思いやりと奉仕の精神で成り立っている国の物語だった。もしそんな社会を実現できたら、過労死も、飢餓も戦争も、この世界からなくなるのに、と思った。

それに少しでも近づくための生き方がしたい。金なしでどこまで自然と共に生きていけるか、自分の力を試してみたい。うまくいって仲間を増やせたらもっといい。仲間を増やして、いつかこの星が「お金のいらない国」のように、思いやりの経済で成り立つ星になったらもっといい。ギブ・アンド・テイクではなく、ペイ・フォワードで成り立つ世界。そんなのおとぎ話だと批判されるかもしれないが、それに対する反論さえ、まずはやってみないとわからない。

「お金」を憎んでいるわけではないし、お金によって生活が便利になることは間違いない。いきなり全ての娯楽を手放すのは嫌。笑
だから完全にお金を自分の生活から切り離すまではしないとしても、お金の依存せずどこまで豊かな生活ができるのかということを、試してみたい。

でも、畑を耕し始める前に、世界を旅して、この世界で起きていることを自分の目で見に行きたいと思う。今の私の浅い知識と経験では、考えられることもできることも、限られているから。

旅をしてもっと色々な人に出会って、世界で起きている現実を見て、「お金のいらない国」を作るために自分にできることを見つけたい。
自分自身がお金に依存しない生活をすることはもちろんだけど、それは生活の基盤であって、基盤を整えた上で私にしかできない何かがきっとあるはずだ。

これが「自分探しの旅」というやつなのかな。笑



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