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スーパースター:クリープハイプ


素敵な企画が発表されたので
noteに書き綴ってみようと思います。
(文章を書くのは苦手なので、温かい目で読んでほしいです。)

◎クリープハイプとの出会い

学生のころから”クリープハイプ”の名は耳にしていたので
「そんな名前のバンドがいるのだな」と認識していた記憶はある。
ただ、何人グループなのか、どんな人たちなのか知らなかった。
短大2年生のころ、日本テレビドラマ「そして、誰もいなくなった」の
主題歌だった「鬼」が初対面だったと思う。
正直、学生の頃は歌詞カードは見ず、耳で何となく聞くことが多かった。
しかし、「鬼」を聞いているうちに”歌詞”が気になり、
歌詞を調べてみた。
相手に対する疑心暗鬼な心を「鬼ごっこ」に例えているような歌詞に
不思議さと、心地よさを覚えた。
当時、津田沼に住んでいた私は、歌詞に”津田沼”が出てきて
なんだか親近感が湧いた。
ドラマにリンクするその歌詞が好きで、
私はこのころ、「鬼」を「鬼」リピートしていた。

「鬼」の「鬼」リピート時代が終わり、
多分、このころの私は某ジャニーズかSHISHAMOの曲を
「鬼」リピートしていた。

短大を卒業した私は、中小企業に就職。
事務の仕事に就いた。
会社では常にJ-WAVEが流れていたので
ラジオを聴きながら仕事をしていた。
仕事をしながら、パーソナリティの話にうなずいたり
CMソングが頭に焼き付いて、友達の前で口ずさんでいたり…
ラジオの魅力に気付いた新入社員(20)であった。
ラジオ内CMにも耳を傾ていたある日、
J-WAVE内の番組「SPARK」のライブイベント
「J-WAVE SPARK LIVE VOL.3」の開催が耳に入ってきた。
当時各曜日ナビゲーターを務めていたクリープハイプとSHISHAMOの
対バンライブだった。
正直、その番組は聞いたことなかった。
だが、当時の私は、「クリープハイプ、生で聴いてみたいな。」
と思い、チケットを申し込んだ。

見事、チケット当選した私はライブ好きの友達を誘って会場へ向かった。
初めての大きなライブ会場に、なかなか早い番号のチケットを手にしていた私は、ライブスタートと同時に、地獄と感動を味わうのであった。
会場が暗転して、クリープハイプの登場。初対面。ドキドキ。
と思うのもつかの間、押されに押され、揉まれる私。と友達。
「ライブとはこういうものなのか。」
「こんなことなら後ろでよかった。」
と洗礼を受け、前方にいることを後悔した。
そんな会場を収めるように、尾崎さんが話はじめ、クリープハイプの1曲目。

HE IS MINE

私が初めてクリープハイプの生演奏を聴いた曲。
曲の予習をしていない私は、ただ周りに合わせることしかできないけど、
みんなで叫ぶあのひとことも言えなかったけど、
ただただかっこいいクリープハイプを見て、
あの日、クリープハイプに恋をしました。

最前列で見たクリープハイプは、
高校生の頃、軽音部の友達がやっていたライブとは全く違って
「スーパースターってこれだ。」と身をもって感じた。

初めて、バンドマンを好きになった瞬間。

そのライブの帰り道、クリープハイプの曲をすべてダウンロードして
聞きながら帰ったあの満員電車は今でも覚えている。

そして、その日の夜中、「太客倶楽部」に入会。
radikoで「SPARK」をお気に入り登録した。

◎クリープハイプに救われた3年間


2017年太客になった私は、行けるライブには足を運び、
ラジオ・テレビ・雑誌、クリープハイプ展など
いわゆる「推し活」を楽しんできた。

2018年の「クリープハイプのすべ展-歌詞貸して、可視化して-」と
2023年のクリープハイプの声をシャワーのように浴びる展」は
すごく楽しかったです。展覧会また開催してほしいです!
(私の勤めている会社で企画出せます!きっと!笑)  

チケットが当たれば、会える。
ライブのその日まで仕事もなんでも頑張れる。

そう思っていた生活も、2020年一転。
新型コロナウイルスの世界流行で大きく変わった。

10周年全国ツアーの公演延期・中止はショックが大きかった。
”延期”という言葉でぎりぎり救われていた気持ちが、
”中止”に変わった瞬間、心に穴があいた感覚に変わった。

このころ、私がよく聞いていた曲が
「大丈夫」と「陽」だった。

我慢生活が余儀なくされてから
本当によく聞いた2曲だった。

もう大丈夫だから。
今を大好きになる。
明日も進んでいかなきゃいけないから。

心にあいた穴を埋めてくれた2曲。

終わりの見えない生活に、うんざりしていた2020年秋。
クリープハイプが配信ライブをやってくれた。
その時、「大丈夫」がセットリスト入りして、
ボロボロ泣いたのを覚えている。
CD音源じゃない、その時の尾崎さんの声で「大丈夫」が聞けて
「私、大丈夫かも。」と思ってしまった。

2021年3月。有観客ライブ。
「大丈夫、一つになれないならせめて二つだけでいよう」

大好きな「大丈夫」の歌詞がライブ名として発表されたとき
胸が熱くなった。
そしてこの時、この曲に救われたのは私だけじゃなかった。
と確信した。

ライブの終盤。
「大丈夫」の歌唱後、続けて歌ったのが「陽」だった。

自分の中で、何かが弾け飛んだかのように大号泣した。
配信ライブとはまた違った感情。
直接的に胸に刺さるような歌詞がたまらなく染みた。

今、目の前で、演奏して歌っているクリープハイプがいる。
これが、私のスーパースターだ。

辛い時、クリープハイプの曲で救われる人間が
少なくともここに1人います。

◎最後に

クリープハイプに伝えたいことを
思うがまま、書いた。
(本人たちの目に留まると嬉しいな。)

先日の「本当なんてぶっ飛ばしてよ」幕張公演も2days足を運んだ。
3年前のリベンジという気持ちが私の中でも大きく、
スタートと同時に感極まってしまった。
全力なクリープハイプが、楽しそうなクリープハイプが見れて
とても幸せだった。
この3年間、私も無駄じゃなかったと思えた。

死ぬまで一生愛したいし、生まれ変わっても太客でいたい。
私のスーパースターでいてください。

#だからそれはクリープハイプ
#クリープハイプ

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