黒田龍之助さんはやっぱうまいな、と再確認するの巻

媒体の是非は別にしまして、最近ウェブに書いたものについてリアクションをもらうことがけっこうあります。

リアクションをいただくということは、素直にうれしいものです。改めてアウトプットというのはやってみるものであるな、とその恩恵を噛みしめます。

河合塾で現代文の講師をつとめていらっしゃる小池陽慈先生からnote, Twitter両方でリアクションをいただけたのは、最近数少ないうれしかったこと(本当に最近は社会情勢もあいまってうれしいことが少ないっすなあ…)の一つでした。

もっとも、うれしい一方で今後何か書くことに若干のプレッシャーを感じないこともない…なんせ、相手は文章表現のプロですからね。

下記リンクのこれなども、まだざっとしか読めていないのですが、力のこもった一冊という印象です。私には当然こんな風に文章術についての本を書くということは到底出来そうになく、せいぜい何か書きたいという人にこの本を候補の一冊として勧めるくらいでしょうか。

小池陽慈 (2020)『一生ものの「発信力」をつける 14歳からの文章術』. 東京:笠間書院. 
ちなみに、(恥ずかしいのであまり大きな声で言いたくはないのですが)トルコに行く前には私自身もとある大学の非常勤で日本語文章表現の授業を担当する機会を得たことはありました。「仕事の文章」あるいは「理論的な文章」を書くという目的に特化した授業でしたが、ひょっとしたらその経験が、今自分の書いている文章に何らかの形で生かされている可能性はあるのかもな、とは思います。

いやーそれにしても、一生ものの発信力ですよね。たしかにほしいアビリティですねえ。

私個人の今の認識としては、面白い文、読ませる文の書き手というのは憧れの境地。なれそうにないなということを自覚はしているけど、なれたらどんなにいいだろうかという考えでいます。
現実で目指すところとしては、最低でも読みやすい文の書き手を目指したいというところです。

今後どこかで作文系の授業をまた担当することになるのであれば、読み手のことを徹底的に考えて書くということが大原則だよね、みたいなことは伝えたいかなと。もっとも、実践できているとは言っていないことに注意されたし、ですが。

さて面白い文章、読ませる文章というテーマですと、外国語がテーマだということでいえばやはりこの方に触れないわけにはいかないですよね…

黒田龍之助 (2013)『ポケットに外国語を』(ちくま文庫).東京:筑摩書房.

黒田氏がいろいろなところで書かれたエッセイ集。以前読んだ記憶があるのですが、手元になかったので再入手しました。

しかし、久々に読み返すと自分の受けた感情が違っていることに気づきます。元気をもらうはずが、「チキショウ黒田氏、やっぱり文章うまいなオイ」と思ってしまったのです。

正直に書きます。彼の文章を読み返して嫉妬してしまったのです。チキショウ、と。なんでこんなにうまいんや、という。

別に競合しているわけでもなんでもないのになあ、とは思うのですが。なんでこんなに読ませるんでしょうね。この書き手は。

外国語についても、黒田氏はスラブ諸語がご専門だけど、こちらがふとこのテーマで書いてみようか、と思ったことのだいたいは、彼が全部書いてしまってるし。

それでいて、文章がうまいっていうんですからたまったものではありません。人気、知名度、文章の技術。勝ち目ゼロっすなあ。

ということで、勝負にならないのであれば(そもそも勝負するものなのか?という話はあるんですが)自分の路線を追求していくしかないな、と改めて思うのでありました。

自分が書けるテーマはなんだろうな。もちろん文法研究のアウトプットは今後も続けるとして、それ以外のジャンルでの書き手としての話です。

せいぜい、トルコを含めたテュルク諸語にまつわるあれこれでしょうか。あとはそれを、どうやって読ませる書き手になるかなんだろうなと。ここは、自分なりにある程度真剣に向き合いたいとも思っているのです。

黒田エッセイを読んで受けた具体的な刺激については、また稿を改めて。

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