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中井英夫『とらんぷ譚』異本(1)

中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社、1979年)
表紙の墨は中井が署名した際に誤って付けたものと思われる
中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社、1979年)
表見返しの識語献呈署名

はじめに

中井英夫(1922年9月17日 - 1993年12月10日)の短篇小説集に平凡社から刊行された『とらんぷ譚』という本があります。1980年1月10日付け初版第1刷発行のもの(1980年初版本)が一般に知られていますが、それとは別に、少部数ながら1979年12月20日付け初版第1刷発行の異本(1979年初版本)の存在が知られています。

因みに、国立国会図書館や東京都立図書館に納本されているのも1979年初版本のようです。

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1980年初版本(左)と1979年初版本(右)の奥付

私は、1979年初版本と1980年初版本の2種類の『とらんぷ譚』を偶然に入手したことをきっかけに、これら2種類の初版本について調べてみることにしました。

初めは判ったことをその都度ツイッターで呟いていたのですが、断片的で、何を呟いたのか自分でもわからなくなってしまいました。
※2022年12月(イーロン・マスク氏によるツイッター社買収後)、これらの呟きは削除しました。

そこで、現時点までに判明した調査結果をまとめて記事としてここに書き留めておくこととしました。

また、調査の過程で1979年初版本には更に2種類あること、つまり都合3種類あることも判りましたので、そのことも併せて書き留めたいと思います。

『とらんぷ譚』とは

『とらんぷ譚』に関する基本情報をお知りになりたい方には、東京創元社から1996年に刊行された『創元ライブラリ中井英夫全集第3巻とらんぷ譚』(創元ライブラリ版『とらんぷ譚』)の東雅夫氏による「解説」と本多正一氏による「解題」、また、『CRITICA 第8号』(探偵小説研究会、2013)の千街晶之氏による「日蝕の翳り 『とらんぷ譚』と雑誌《太陽》」のご一読をお勧めいたします。ここでは、東氏の「解説」から一部を引用させていただきます。

『とらんぷ譚』は、あの『虚無への供物』と並び称されるべき、中井英夫の代表作である。後者を作者の最高傑作とする意見に、私も異存はないが、作者がより得意とする短篇の分野で存分に腕をふるった感のある本書には、中井英夫という特異な作家の個性が、後者にまして十全にあらわれているように思われる。
(中略)一組のトランプになぞらえて五十四の連作綺譚を書き継ぐという、古今東西他に類をみない文学的離れ業アクロバットを成し遂げた本書は、ともすれば『虚無……』の栄耀の陰に隠れがちであった。
(中略)『とらんぷ譚』は、スペードの札にあたる『幻想博物館』、クラブにあたる『悪夢の骨牌』、ハートにあたる『人外境通信』、ダイヤにあたる『真珠母の匣』の全四部五十二篇に、「影の狩人」、「幻戯」という二枚のジョーカーを加えた五十四の短篇から成る。

なお、東氏の「解説」から引用しなかった部分に、『とらんぷ譚』の各短篇が、①平凡社の雑誌「太陽」1970年7月号から1978年6月号に「その時どき」(創元ライブラリ版『とらんぷ譚』の中井の「後記」より)に執筆された作品に、「話の特集」、「幻想と怪奇」、「風景」、「カイエ」、「海」初出の作品と書下ろし作品とを加えたものであること、②当初、これらの短篇は、平凡社から『幻想博物館』、『悪夢の骨牌』、『人外境通信』、『真珠母の匣』の4巻本として発行され、その後、1巻本の『とらんぷ譚』に纏められ刊行されたことなどが記されていることを補足します。

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『創元ライブラリ 中井英夫全集第3巻 とらんぷ譚』(東京創元社、1996)
『CRITICA 第8号』(探偵小説研究会、2013)

アポロ版「とらんぷ譚」

1955年、中井は碧川潭名義でアドニス会の会員誌『ADONIS』の別冊文芸誌『APOLLO Ⅱ』に「とらんぷ譚」を発表しています。12枚のダイヤのジャックと1枚のスペードのジャック(オジェ)に擬えられた男ばかり13人の登場人物が、伯爵と駅員、駅員と土工、土工と少年、少年と運転手、運転手と…といった具合に相手を替えながらペアになって掌篇が連なっていくこのアドニス版というかアポロ版「とらんぷ譚」は、後の『とらんぷ譚』の原型の一つと考えられるのではないでしょうか。

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『APOLLO Ⅱ』(アドニス会、1955)
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『APOLLO Ⅱ』(アドニス会、1955)碧川潭「とらんぷ譚」扉

さて、次に引用する短歌は、須永朝彦(1946年2月5日 -2021年5月15日)が中井に献辞したものです。私には、アポロ版「とらんぷ譚」を踏まえて詠まれたものとしか思えないのですが、如何でしょうか。

   中井英夫に
骨牌とらんぷをあやつる指のほそければつねにはじめに現るるオジェ

須永朝彦『定本須永朝彦歌集』特装版(西澤書店、1978)「獻辭 獻呈歌篇假名手本順敬稱略」より
須永朝彦『定本須永朝彦歌集』特装版(西澤書店、1978)